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自分を助ける。


育児休暇に入るとき、職場の人に「自分を助けたいと思って、入社して、何を得ましたか?」と文書で聞かれた。
え!何を得たんだろう?と思った。ちょっと考えてみることとした。


話は変わるが、 休職中の仕事は、就労支援の仕事だ。
僕はこの仕事を始めるときに「自分を助けたい」ということを伝えて入社した。
自分を助けたい、というのは文面どおりなのだけれど、意図とかはもうちょっとあって、まぁ、それはどこか別の機会にゆずる。


で、何を得たのか迷っているけれども、いや、実際に「いやー、得たなー、これは!」と言えるものはいくつもある。

給料、経験値、人脈、知識。


どれもこれも重要だというのは理解できるつもりだが、自分が自信をもって「これを得ました」と呼べるものとも少し違う。上記のような外的要因ではなく、内的要因の方が大きい気がするのだ。
そういう感覚を持つけど、それを説明するのは結構むずかしいのだ。


で、改めて考えてみるけれど、2つ思い当たったから書いてみたいとおもう。

1つ目。

「他者を褒めるスキルはそこそこありそう」と思えること。
これは仕事をする中で「自分を助けたい」という感覚から経験を積み重ねた結果として生まれたものだと思う。
就労支援という職業上、というのもあるだろうが、出逢う他者の中には自分のことを悪く認識していたり、迷うことがたくさんあったり少なすぎたり、という人たちの現状と出会うことがよくある。
そういう現状を知ると、「いや(僕より)めっちゃ考えられてますよね」と思うことがかなり多い。僕がその日しか意識していないというのもあると思うけど。。。

そもそも、自分の今後のために相談にいく、というアクションをしているという時点で超絶にポジティブだ。それに尽きる。超すごいっすよね。
それがたとえ、1回こっきりだとしても、その1回の

「自分が相談しても迷惑なんじゃないか」という感情とか、

「相談してもしょうがないだろう」という感覚とか、

もろもろの諸条件を調整して、他者に話を聞いてみる、自分を話してみる、ということを決めた。そして動いてみた。その行為が希望の塊だと思う。
少なくとも僕は勝手に希望のパワーを受け取っていて、そのパワーにパワーをもらっているのだ。
誰かにパワーを与えているのだから、どういう視点でみても、「相談」は超、尊い。
平たく言うと、「来てくれて、話してくれてありがとう」なのだが、そんな言葉では表現しきれてないパワーを受け取ってしまっている。
そのパワーを返したいから、きっと相手を褒める(ポジティブに捉える)という視点が強くなるんだと思う。
表現する言葉やどう伝えるかなど、自分の褒めるスキルは結構自信を持てる気がする。


余談だけど、僕が反対に相談にいく場合、どんな相談だとしても、まず受け取って欲しいのも実はそこなのだ。
僕は褒められたいのだ。今も昔も。誰にでも。
そう、だれにでも褒められたいが、特に褒めて欲しい人がいる。


「おれ」だ。
そう、自分に褒めて欲しい。
「よくやってるぞ」「すげえじゃん」「次、もっとこうしたら面白そうだね」とか。
じゃあ、「褒めりゃあいいじゃん?自分のことなんだからさ」という声はあるだろう。
そうした声には、はっきり言おう。


その通りである、と。

そして、そういう簡単なことだったら「欲求」にならねえんだよ、と。

でも、そうなんだけどね。


「自分を褒める」ことをやっても満たされなかったり、満たされても、また飢えたり。
だから自分を助けるとか、ほめるとかは人生上の重要な行為だと思っている。
余談が過ぎた。


そして、2つ目。同じような内容のような気がするが、書く。
2つ目は「自分を助けたいという感覚を今後も持っていていい」と強く実感できた、こと。
今までもそうだが、今後も僕は自分を助けるために仕事をすることになるだろう、と思える。

僕は自分を助けるために他人と関わったり仕事をする。それによって周りに良い影響が起こることが何度もあった。
これでいいんだろう、と思う。むしろ、これしか出来ないんだろうとも思う。

自分を助けようとしなくなったらきっと僕の魅力は無くなるのかも知れない、とも思う。
自分のエゴを表現する行為を通して、僕は僕らしくいられるらしい。
なので、育児休暇中も仕事に復帰した時も僕は「自分を助ける」というミッションのために時間を使っていくつもりだ。


当然、このブログもそうした趣旨に沿って更新される予定。
よろしくお願いします(?)

ふと、そんなことを思った次第。

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