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軽音部の思い出


高校時代、軽音部で同期の男子は
自分だけであとは全員が女子という
特殊な三年間を過ごしていた。
当初は軽音部に入部する予定はなく
部活もあまり自分がやりたいと感じるものが
なかったから、とりあえずバイトして過ごす
高校生活かなと思った。
部活動紹介で軽音部の演奏を見て天啓が
舞い降りた。
しばらくして、軽音部の見学に向かった。
軽音部の先輩方が優しい方が多く
ここに入部しようと決めた。
しかし、蓋を開けてみれば
同期の男子は自分を含め3人で、
残りは全員女子という特殊な環境だった。
1人はすぐに辞めて、もう1人は女子ばっかりの
環境に耐えきれずに辞めてしまった。
自分は来年入ってくる後輩達のためや
面白そうだなと思って最後まで残った。
元々はギター🎸をやる予定だったが
ベースの魅力に引き込まれてベースとして
活躍するようになった。
始めた当初は音楽経験が全くなく
どうすればいいかわからない状態だった。
けれども、先輩達や同じバンドメンバーに
助けられて何とかできるようになった。
一年生の頃はヘッドバンキングをしながら
ベースを弾くといったスタイルだったが、
2年生に上がる前にドラムが離脱し、
他のバンドと併合した結果、
自分のやりたいことができなかったり、
頭ごなしにダメ出しされたことが原因で
つまらなくなっていた。
けれども、男子の後輩が頑張っている姿を
見て自分も頑張ろう決めたり、
悔しさをバネに必死にベースを練習した。
その結果、技術は上達しバンドメンバーに
認められるようになった。
軽音部では合同ライブや文化祭ライブ
親御さん向けのライブそして、合宿も
行ってきた。

辛かったことは
バンドメンバーの脱退、
後輩の退部やバンドメンバーに
ダメ出しされることだった。
バンドメンバーの脱退は何度も経験しており、
最後の文化祭で他のバンドの元メンバーが
軽音部のライブを見て後悔している姿が
やるせない気持ちになった。

バンドメンバーの脱退で
記憶に残っているのは2年生が終わる頃に
ボーカルが来ないことが多く、
ドラムがLINEで問いただすと喧嘩になり、
顧問とともに話し合いをして
そのまま脱退した。
正直、脱退したことにホッとした。
理由は初代のボーカルは無神経な事を
言われる事が何度もあり、
苦手なタイプだった。
後輩の退部に関しては一つ下の代が多く
自分がしっかりしていないから
辞めたんだ、自分はダメな先輩だと
後悔した。
初めは20人いた後輩が気がついたら
1桁になっていたことに驚いた。
最も辛かったのはバンドメンバーからダメ出し
されることだった。
一生懸命練習しても「違う違う違う」と
頭ごなしに言われることに屈辱を感じた。
特に、3年生の時の合宿では
ドラムに多くのダメ出しをされて
「完璧にならなきゃ」「自分はダメだ」と
悩んだ。
その度に見返してやろうと練習を頑張った。

良い思い出は優しい先輩や後輩が
たくさんいたことやライブだった。
特に、2つ上の代の先輩は1人しかおらず、
後輩達に対して優しく、
気さくに話しかけてくれた事に感謝しかなく、
兄貴と呼びたいと思うほど今でも慕っている。
一つ上の代の先輩は演奏や盛り上げ方が
とてもうまくバンドの面でとても参考になり、
軽音部を誰よりも考えていたと思った。
後輩達はすごくいい奴しかおらず、
こんな弟や妹が欲しかったなと思った。
ライブでは自分が一番輝く時で、
自分のことが好きになる瞬間だ。
思い出に残っているライブは
初めての合同ライブと
一年生の春休み前の校内ライブと
最後の文化祭だ。
初めての合同ライブでは
誰よりもお客さんを盛り上げ、その学校の
顧問の先生に褒められた。
校内ライブでは直接とても良かったと
言われたことが思い出に残り、
このライブでお客さんのありがたみを知った。
最後の文化祭ではこれまでにない一体感を
持ったライブができたと思った。

引退式で後輩達にはダメな先輩でごめんや
当たり前の事に感謝する事の大切さを伝えた。
顧問の先生からは
三年間男子1人でよく頑張ったと
言われたことが思い出に残りました。

スタエフでさらに詳しく聞けます。
https://stand.fm/episodes/601bffb5d89b864eb9a4d8a1

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