見出し画像

宮台真司襲撃事件について思うことを書いておく。追記版

メインブログの方で『宮台真司襲撃事件について思うことを書いておく』というのを書いた。

続きとしてもっと書いておきたいことがあるので、noteの方に書くことにした。メインブログよりは目立たない場所に置いておこうという位置づけで、こっちはこっちでまた好きなように書いていこうと思う。

こっちでは、宮台真司襲撃事件の原因として個人的に一番怪しいと睨んでいる記事、以下の『宮台真司氏が指摘する、年間3万人が孤独死する日本の切実な問題』についての言及をメインとしよう。

もちろん、いまだに動機不明の事件となっているので、これに関しては「今の所の自分の見解で一番怪しいと思うもの」ぐらいの認識でいて欲しい。

(ちなみに、2013年出版の『おどろきの中国』という本が犯人の自宅から見つかったという情報もあるが・・・自分も実際に購入してみて目を通した感じだと・・・あれはあんまり関係ないと思う。)


先の孤独死批判の記事の内容

そもそも宮台真司は賛否両論あることに定評ある社会学者だが・・・
何故これほどに賛否があるのか?

昔は気鋭の社会学者として活躍していたこととか、他の学者にはない頭の良さと視野の広さで圧倒的な存在感があったこととか、彼によって精神的に助けられた人が多いとか、そうやって賛同する人が多いだろうと思う。
そうした宮台真司の良い部分、「光」みたいなものはとても強くて、それによって良いと感じて支持している人は多いわけである。

一方で、宮台真司を否定する人が多い理由は・・・よく既得権益を批判する内容が多いから、批判される側は気分が悪いだろう、などの理由もありそうだが・・・
やはり不当に「クズ」呼びばかりしてるような内容の論説もたくさんあるからだと思う。2010年代からの彼自身の劣化や老害化によるものだろうか? 老害化によってその欠点が色濃く出るようになってしまった宮台真司の悪い部分は「闇」のように厄介なものになり、そんな「闇」がよく出てしまっているような、質の悪い内容の話がされることもあり、それがネットの記事として載ると質の悪い記事として残ってしまう。

先の記事、『宮台真司氏が指摘する、年間3万人が孤独死する日本の切実な問題』もそんな質の悪いものであり、かなり悪い方の部類に入ると思う。

これは最終的には「仲間を作ることの重要性」を語りたい趣旨なので、そういう正論を軸にしているものの、悪いものをクズ扱いしながら語るのはいつもの宮台真司のやり方である。
良いことを言っているようでも、以下みたいな内容から入っている。

  • しょっぱなから恋愛しないで一人で生きようとする奴の発言の否定。そういう奴はクズだ宣言

  • そういう奴は自分を正当化してると決めつけるロジック

  • 孤独死当事者のセルフ・ネグレクトに対しても正当化は悪いことだと断言

  • ニコ生のコメントを1個1個全部拾って、「友達いないだろう」「あんたみたいなクズを恋人にする人はいないぜ」「ひとり寂しく死ね」と罵倒するエピソード

  • ニコ生のコメントをする人達に対して「手遅れ」と断言

  • 男の大半はもうダメ発言(これもよく言ってる。)

・・・そんな感じである。

ちなみにこの記事はログミーBizの無料会員登録をすると全部読める。
しかも割と長い。
長いので読み応えはあるだろうが、良いことを言いながらも、男の大半をクズ扱いしてる発言が目立つので、「まぁ、いつもの宮台だな。」みたいな内容だと思った。

あと、以下の書籍の内容も大体そんな感じの特徴がある。

(・・・こういうのに目を通していると発言のパターンがだんだん読めてきちゃう・・・)

暴徒を生む絶望のロジック

今回の襲撃の犯人、倉光実の話の前に・・・

襲撃といえば2022年7月8日、山上容疑者の起こした安倍元首相殺人という大事件も有名だった。

心理学的にどういう人がこういった襲撃事件を起こすのか?

これも実は宮台真司自身が説明している。

山上容疑者が事件を起こした後の2022年12月24日、それを題材にした『REVOLUTION+1』という映画が上映された。
そして、宮台真司もこれを支持していて、上映後イベントのゲストとして出演した。
以下のブログでその内容について記録している人がいる。

このイベントでも「人は何故こうした暴力に走るのか」について丁寧に説明されている。

話はまず「国家権力がまともに働かないときには、自力救済しかない」という、『リヴァイアサン』という本に書いてある有名な内容から入る。
特に日本は共同体自治の基盤がない社会・・・とのことなので、だからより一層救いのない社会になってしまうらしく、そうなると自力救済に追い込まれてしまう。
そんな中で個人が自力救済するようになると、その個人は怨念も抱いているし、絶望もしている。そんな状態だと暴走しがちになってしまう。
だから暴力の方向に動くという話である。

大体分かってきただろうか?

さて、日本はまさしく就職氷河期の時は過酷な状況になり、さらに「自己責任」という言葉が流行るほどに自力救済にも追い込まれてしまった。
それは氷河期世代である今回の犯人にとってもつらいことだったと思われる。

1993年辺りからずっとあった問題だったため、もちろんその状況を批判した人もいっぱいいた。当然、宮台真司もそうした批判はいっぱいした人物であった。
しかし、批判する人がいても何も変わらなかったのが2022年までの現実である。

そんなどうしようもない状況だったため、今回の犯人もその当事者で一回も就職できず、このまま孤独死もやむなし・・・だったが・・・
先の記事で、「孤独死を自己正当化する奴はクズである」かのような内容で、さらに絶望を与えて追い詰めるようなことを言っていたのは、宮台真司その人ではないだろうか?

犯人のことを想う

さて、原因と思われる事象がだんだんと繋がってきた。

いよいよ倉光実容疑者(41)について書いていこう。

ここから先は現状分かってる情報を元にした憶測の話にもなるが・・・
その前提で話を進めていこう。

◆〈宮台真司さん襲撃、容疑者を書類送検へ〉死亡した41歳無職“ひきこもり男”の素顔(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

◆《宮台真司襲撃》愛読“宮台本”に「日本では幸せは『自分次第』が約35%」“引きこもり中年”倉光容疑者(41)が陥った“逃げ道の無い孤独”とは _ 文春オンライン

◆「ぼっち写真」入手!宮台真司襲撃事件 容疑者が”クラスの人気者”から「引きこもり中年」になるまで(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

父親は水道工事業を営む仕事で、70歳の今でも働けるペースで働いている。
母親は介護関係の仕事をしている。
姉は二人いて、既に自立している。
経済的には不自由なさそうな家庭であり、両親の性格は近隣住人から「朗らかな人たち」と評価されるぐらい良いものだった。

倉光容疑者については、取材による情報だと、小学校では運動ができることもあって、割と人気者だったことが伝えられている。

高身長で体格に恵まれた身体を持っていることもあり、中学から野球部に入って坊主頭の野球部員になる。
背が高く童顔でモテるタイプ。物静かだが、やんちゃなグループにも顔がきくといったことが言われている。
近隣住民からは「おとなしい印象」といった評判がある。

高校は甲子園常連校として野球が強いことで有名な所に入学して、これまた野球部に入る。投手として入学したほど期待されていたらしい。
しかし、高校2年の時から不登校になり、そのまま退学になってしまったと、近隣住民らの証言から確認されている。
・・・この頃の話が謎が多い所だが・・・
取材によると、他人を蹴落とすような厳しい練習に耐えられなかったのかもしれない?などと言われている。

「精神病を患った」という情報があるのは確かで、
母親が「息子が精神を病んで、ずっと家で本を読んでいる」と言っていたらしい。

精神的な病のこともあり、アルバイトも含めて一度も仕事をしたことがない生活が始まる。

さて、就職氷河期で言うとこの頃はどの辺りの時期だったのか?
当人の2022年時点の年齢が41歳で、高校2年生の時の年齢を16歳とすると、その時は西暦は1997年。
就職氷河期とされる時期は約1993年から2005年なため、見事にその真っ最中な頃である。

当時の就職は大卒でも厳しいとされていたし、派遣で食いつなぐ立場になって今も苦労している人がいる状況である。
高校中退で精神病持ちという立場では・・・しょうじき絶望的にキツイと言えるかもしれない・・・
氷河期自体がようやく回復気味になった時期である2006年の頃には24歳であり、そこで職歴が何もない状態になった・・・ここまでは経歴から分かる事実である。

そこから先は本人に何があったのかは分からないが・・・

本をよく読んでいるので、図書館によく行く習慣があったことは周辺住人の取材で分かっている。

時期は分からないが母親がキリスト教系の宗教に入信。
そこは『エホバの証人』であることまで確定している。
周囲の人も勧誘されたことがあるらしいが、押しつけがましくはなかったようで、そこまで悪そうな印象はない。
息子の倉光容疑者はエホバの証人とのつながりはないことが判明している。

8年ほど前、エホバの証人の集会所だった場所があったが、
5年ほど前から倉光容疑者が住み始めたと言われている。ここは息子を心配した両親が、実家とは別に購入した別宅とも言われている。
自転車で20分ほどの場所に図書館があり、毎日図書館に通っていたと、近隣住民からの証言がある。

母親は病気で一時期入院していたこともあり、病気を煩いながら息子の身の回りのことをやっていたらしい。そうした健気な母親を持つ中で、倉光容疑者は最終的に「家族や知り合いに迷惑をかけた」 と書かれた遺書を残す。

以上。これだけの情報でも、なんともやり切れない人生を歩んできたように見える・・・
もともと鬱気味だったのかもしれないし、死に場所を求めているように自殺願望もあったのかもしれない・・・

16歳から精神を病んでの引きこもり生活が41歳まで続き、どうにもならない。親は健気で本当に迷惑をかけてしまっているが、どうしようもないから正当化するしかない。

そんな中、宮台真司の出てる先の孤独死批判の記事が目に飛び込んできたと仮定しよう。

しょっぱなから男にとってデリケートな問題である恋愛しない奴をクズと批判することから入り、そこからセルフ・ネグレクトのように孤独死を自己正当化をすることを批判。

友達を作れないという劣等感を、見ないようにしていることまで批判している。

さらに、ニコ生のコメントに対して、「友達いないだろう」「あんたみたいなクズを恋人にする人はいないぜ」「ひとり寂しく死ね」とまで言っている。

しかも、その発言をしてる奴は社会学者として皆から賞賛されていて、誰もそのことについて責めてる人がいない。異常な奴である。

もともといつ死んでも良い人生だった。こいつだけは許さない・・・!

そんな動機から異常な執着が芽生え、大学の研究室を調べて狙うようになった。
人生に目標ができると、その達成のために全力で動くことができる。
自宅近くの駅に何回か行ったし、大学の研究室のある建物にも行った。

そして2022年11月29日。東京都立大学でベストなタイミングが来た。
いよいよ決行!・・・・・・

・・・・・・その後は皆も知っての通りである。速やかに身を隠す所まで上手くいっており、防犯カメラに映ってる数が少なくて警察は当初苦労していた。証拠は後に隠滅していて、用意周到にやっていたことはその様子からうかがえる。

 
・・・以上。この推測はもちろん、自分(Raimu)個人の勝手な妄想かもしれないが・・・。だいたい合ってそうじゃないだろうか? どうだろうか?

当然、この説は一例に過ぎないため、他の可能性も考えられる。
動機の詳細は分からないものの、犯人のおおまかな立場はかなり分かってきている。

氷河期世代の引きこもりであり、無職であったため人との繋がりがそもそも薄く、組織的なつながりが見られない個人の犯行であることは確かである。宮台真司本人との直接的な繋がりも一切ない。
これらの立場が分かっただけでも、動機の可能性はかなり絞られてくると思う。

後は、犯人の思想的な詳細はどうなのか? ネトウヨに傾倒していたのかどうか、反知性主義だったのかどうか、ネットで何かしらのアカウントはなかったのか、山上容疑者に触発された側面はあるのか、今後明らかにしたい所はその辺りだろうか?

なんにせよ、犯人に長い読書歴がある中、宮台真司とは思想的に相容れなかったことは確かであり、宮台真司がよく言う「クズ」に自身も引っかかり、絶対に許せない感情を抱いたことによって、尋常じゃないほどの殺意が芽生えるに至ったことが考えられる。

セルフ・ネグレクトについて考察しておく

さて、先の記事では「セルフ・ネグレクト」と呼ばれるものが批判されていた。
そもそもセルフ・ネグレクトとはなんなのか?
これについても掘り下げておこう。

ざっくり説明すると・・・「意欲や能力が低下して、普通の生活をキープすることが困難なレベルになる。生活環境や栄養状態が悪化しているのに、それを改善しようという気力を失い、周囲に助けを求めない状態」・・・みたいなことを指す。

例えば、「ゴミ屋敷化」が起きる状態なんかがその代表例とされている。家がゴミ屋敷になる人の心理には、生活環境が悪化しているのにそれを改善しようという気力がないから、そうしたセルフ・ネグレクトに該当する理由によって家がそうなるらしい。

とはいえ、孤独死に至る人、もとい、現在孤独である人というのは様々なので・・・
セルフ・ネグレクトがひどくてゴミ屋敷にまでなって孤独死する人と、そこまででもない人がいる。
それを整理すると以下のようになると思う。

こうしたセルフ・ネグレクトが進行して孤独死が増えるのは良くないから、防いでいきたい。
それに対し、宮台真司の取る手段は「めちゃひどい段階の人を徹底的にクズ呼ばわりして、正当化もよくないことだと周囲に知らしめる」ことである。

いつもの「クズ呼ばわりで変えようとする手段」である。
だから、宮台真司はクズ扱いして良いぐらい酷い状態になった人達を、周囲に晒すようなことをして、色んな人の変化をうながそうともする。
実際に本人のTwitter上でもクズとみなした人に対してリツイートで晒して煽ることとかまでしているのを自分は見たことがある。

いつも思うが、本当にそれで上手くいくのだろうか?

しかも、この手段は、いわゆる「手遅れ」とされてる人達の気持ちに対しては何の配慮もされていない。その人達がどれだけ傷ついても気にしないスタンスである。本当にそれで良いのか?

今回の事件で倉光容疑者はゴミ屋敷化していた様子はなさそうだったが、「めちゃひどい=ゴミ屋敷」というわけではないので、そこは柔軟に考えていく必要がある。
ゴミ屋敷化する人はあくまで「片づけるのが苦手」の特性を多く持った人で、特性や得意不得意の問題でゴミ屋敷化はしていなくとも、セルフ・ネグレクトの度合い的には深刻なことは考えられる。

また、「精神病持ち」が確定している。鬱病の場合は責めたことを言うのは絶対ダメである。これは絶対に気をつけなければいけないケースである。

宮台真司のやり方は本当にどうかと思う。
以下の記事にあるようなスタンスの方が明らかに良いのではないだろうか?

ゴミ屋敷の片付けや不用品回収などを行う「イーブイ」という大阪市の専門業者があり、そこは「イーブイ片付けチャンネル」というYouTubeチャンネルをやっている。
そして、その代表者の二見文直社長へ取材した時の内容が素晴らしい。
この人はゴミ屋敷化する人のことを本当に真剣に考えている。これこそが「弱者のことをちゃんと助ける姿勢」として正しいのではないだろうか?

一部の人を徹底してクズ扱いするやり方

それから、先の記事では実際に孤独死する人は何かしらのセルフ・ネグレクトが進行し、めちゃひどい状態になる所までいく人は多いと言われている。
孤独死の8割がセルフ・ネグレクトとのことである。これは宮台真司が言っていたことではなく、菅野久美子という人が書籍『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』を出す上での取材から得た知見になる。

2019年3月に出た書籍の商品説明によると、年間孤独死が3万人で、孤立状態は1000万人とされている。
したがって、「孤独に生きている人」を全体とすると、「普通に今が孤独」や「このまま行くと孤独死かも」あたりの方が圧倒的に多いわけである。

宮台真司は全体からすると数が少なそうな人を徹底してクズ扱いすることにこだわり、実際に数が一番多そうな一般人よりの部類に対してはあまり深く掘り下げない。意識のフォーカスがあまり行っていない様子なので、その辺に対する理解がほとんど足りてないことも多い。

これは孤独死問題に限った話ではなく、「ひどいケースの者のみを徹底的にクズ扱いする」パターンは宮台真司によく見られる。お決まりのパターンである。

例えばこうしたパターンでよく批判するのはナンパ師だったりするし、
最近(襲撃前)で批判してたのはタワマンに住むエリートだったりするし、
ネトウヨとかもウヨ豚と言ってよく批判している。

ナンパ師も、タワマンに住むエリートも、ネトウヨも、全体の数からするとせいぜい5%圏内ってとこではないか?

確かに、今の若い人の間でナンパ師のカルチャーが盛り上がってることはネット上からも観察できるし、「ナンパ師はクズ」ぐらいの発言なら、自分も「そうですね。」ぐらいに納得はできるが・・・
男の中ではそういう者達を冷笑してる奴もいるし、距離をとってる奴もいるし、普通に彼女できてて普通に結婚してる奴もいるし、オタクの方向に行ってる奴もいる。
学校で1クラス20人ぐらい、5クラス100人ぐらい、色んな所からなるべくランダムに集めた男子高校生がいたとして、そこからナンパ師に傾倒して最後までその思想にハマり切るやつなんて、どれくらいの%でいるんだろうか?

それなのにすぐ「男の大半はクズ」とか言い出すのは、一体若い人達の何を見ているのだろうか?

そこばっかり見るし、そこしか見ないし、そこばっかりクズ扱いして好きなだけ罵倒する。
これも宮台真司がよくやるパターンである。

判別の難しいセルフ・ネグレクト

あと、先の記事でセルフ・ネグレクトにある自己正当化に対して、「『諦めたから、仕方なく一人で過ごすことを苦しくないように工夫しよう』というのであればマシ」「自己正当化を自覚していないことが浅ましい」といったことも言われていたが・・・
これも引っかかる。

自己正当化を自覚していないことがダメ?
自己正当化を自覚した上でやっているならマシ?

自己正当化を自覚していない、自己正当化してると思ってないのがダメとはどういうことか?
確かに、本当は考えなきゃいけないことを無意識的に消去して、そこから無自覚な自己正当化になってるケースは考えられるかもしれないが・・・・
別に普通に考えた結果、自然な正当化が生まれることもあるのではないか?
一人で生きることが自身に本当に向いてることならば、一人で生きていれば良いし、
恋愛しないことが自身に向いていないなら、恋愛しなければ良いのではないか?

そうなると、要するに以下の三つの状態があるわけだが・・・

これは・・・判別の難しいことではないか?

そもそも、宮台真司は「クズ」側の人間のが多いかのように語っているが、
実際は「マシ」側の人間も多くいるのではないか?

ちゃんと話を聞いて判断しているのだろうか?
実際にはマシ側に近い心理状況でも、鬱々した気分からの強がりでクズ側の態度を取る人はいるものだし、
特に挑発的な態度を取ってくる奴に対しては、クズ側の態度を取りたくなる人もいると思う。

それに「自己正当化というか、これが自分に向いてる生き方ですけど?」なケースとの判別も難しい。

実際にはそうでもない人間をクズ側かのように認識してクズ呼ばわりするなど、人として外道な行為以外何者でもない。

その辺ももっと気をつけて欲しいものである。

クズとかいう言葉使い過ぎ問題

宮台真司について批判すると、結局、

「やっぱりクズとかいう言葉ばっかり使っていては駄目なのでは?」

に行きつく。

要するに、クズという言葉の多用によって、自身が「言葉の自動機械」化して思考が劣化し、話の内容も単純化してしまっている。
結局はその問題が個人的に一番引っかかる。

こうして「クズかマトモか」の二極分離で単純化するパターンもまた、宮台真司がよく陥るパターンである。
これだと「クズなとこもあるけどそこそこマトモなとこもある普通の人もいるのでは?」といったケースには対応できないし、そうした人はどんどん可視化の対象外になっていく。

だから話がどんどん単純化していく。
クズという言葉を使えば使うほど「言葉の自動機械」にハマってないだろうか?
本人はそれに気づいてないのか? それが分からないまま使っているのだろうか? それこそ無自覚な自己正当化では?

本人はこうしたクズ呼ばわりを「有用だ」と思っているが、
「不要だ」だというのが自分の意見である。見解の相違である。

宮台真司の基本スタンスは、要するに「社会をクソ社会とみなして変えようとする」「自身をクズと自覚させて変えようとする」であり、
実際にこのやり方で意識が変わっていった人もいるらしい。

いるらしいが・・・・

先の記事ほどのやり方ってのはどうなんだ?????

ただ、そうしたやり方で変わってる人もいるとなると、
もっとちゃんとしたやり方の検討や程度の問題になるので難しいことだとは思う。

とはいえ、「不要なやり方」と「有用なやり方」の区別ぐらいついた方が良いのでは?

今回は明らかに殺意が高い人に狙われてしまった。

宮台真司本人は「襲撃上等」のつもりで自由な言論をやっているつもりのようだが・・・
あれほどに殺意の高い人に狙われて運が悪かったら本当に死んでいた可能性もあるから、そうなったら本当に悲しい結果になっていた。
それに、人を傷つけるだけ傷つけても特に意味がなかったら・・・
ただ「人を傷つけただけ」という結果が残ってしまう。

自分としても彼には死んで欲しくはないと思うし、ただ人を傷つけるだけの不要なやり方は止めて欲しいと思う。

「今の日本は劣化している」という言葉の問題点

宮台真司がずっとやってるやり方は、要するに・・・

「社会をクソ社会とみなして、それから問題意識を持たせて意識を変えようとする」

ということに集約される。

「今の社会は安全だ。」とみなして生きていると、そこで社会に対して何も考えることがなくなり、そうした人間は「クズ」になるという極論である。そうした状況を避けるべく考えさせるために、あえてそういう人を「クズ」と罵倒することで、大衆に社会を考えさせる手法である。
そのための罵倒の言葉がその場の文脈次第で「クソ」とか「クズ」とか「劣化」とかになる。
「今の日本は劣化している。」みたいな話もよく言われている。だから、宮台真司の社会学は・・・

「今の日本は劣化していることを強烈に自覚させて、その危機感から考えさせることで意識を変えていく」

というのがスタートにある。

宮台真司を支持する人にとってもそれはその通りということ納得すると思う。
それで実際に変わった人もいるらしい。

まぁ、それはそれで良いとしよう。

 
 
・・・良いとしよう・・・と言いたい所なのだが・・・

実はこのやり方には欠点がある。

「今の日本は劣化している」という強烈な先入観から物事を考えるようにすると、「今の日本は劣化している」という認識から社会について考えることができるが、逆に「今の日本は劣化している」とまで強く認識しないと社会について考えられなくなる。
何か社会について考えるためには「今の日本は劣化している」の認識から入ることが習慣づいてしまい、「今の日本は劣化している」の先入観から抜けられなくなってしまう。
その言葉による先入観は偏見をもたらすものにもなり・・・言葉がもたらす「呪い」のようなものにもなるだろう・・・これも「言葉の自動機械」の作用だと言えるのである。

このやり方の良い所は、善悪二元論的で分かりやすいことである。だから支持する人が多いことはあり得るが、その代わり思想の方向性が宗教に近くなってしまう。
もし、思想としての完成度の高い学習を目指す場合でこのやり方を使うと・・・間違いなく思想としての完成度が低くなる。「深み」を求めるレベルの話になると、どうしても浅い見解のままで終わってしまう。

もし、宮台真司の「今の日本は劣化している」の言葉から、社会について思考するようになり、そこからそれ以上に社会学としての思想の完成度を上げていきたい場合は、宮台真司のそういう所を批判的に捉えなければならない。
しかし、宮台真司を強く好み過ぎてる者はそうしたことがやりずらい。だからどうしても限界のある話になるのではないだろうか?

社会学として本当に深みのある所まで社会をよく知っていくには、昔の社会の悪い所は把握するべきだし、良い所も把握するべきだし、今の社会の良い所も把握するべきだし、悪い所も把握するべきである。その中で劣化と進化の二つの流れがちゃんと読めた上で、「今の日本には劣化している流れがある」と論じるべきだと思う。

宮台真司の社会学にはそれがない。
現に、宮台真司の言っていることは、昔の社会の悪い部分は言わな過ぎだし良い部分ばかり良い過ぎだし、また、今の社会の良い部分は言わな過ぎだし悪い部分ばかり良い過ぎである。やっぱこいつの社会学はおかしい。

社会学のクオリティ向上を目指す上では、その辺についても考えて欲しい。

宮台真司の動画

さて、色々と書いていったが・・・
ここで、自分が観たことある宮台真司の動画を載せておこう。

まずはオススメはしない動画から。

自分が観たことあるものは切り抜き動画で、その動画自体は消えてしまったが・・・
以下の動画の16:00~40:00ぐらいまでの内容である。

宮台真司が登場して「日本の劣化と大衆社会」をテーマにした対談が始まるが、その内容が、若者をクズ扱いして、クズって言葉がドン引きするほど飛び交うものだった。
あまりにも酷いぞ! 心して聞け!
(ちなみに自分はめんどうなので倍速視聴で聞いた。)

次にこれ。
これはまぁ「最近の宮台真司は大体こんな奴」を一望できるので、割とオススメできる部類ではある。

放送日時は2021/10/29。今より1年以上前の話になるが、東京オリンピック後、岸田首相就任から3ヶ月後ぐらい時期なので、割と近い頃でもある。
だから「岸田首相はどうなのか?」「政府のコロナ政策はどうだったのか?」といった内容から始まる。

前半と後半に分かれてて全部観ると70分ぐらいになるし、内容が濃い。
政治、経済、コロナ政策、家族問題、再エネビジネス、既得権益批判、贈与経済、資本主義批判、共同体精神、性愛・・・・・・
まぁ政治や経済の話とかもあるし、知識はすごいので見応えはあると思う。
大体これを観れば宮台真司の目指す社会学の方向性もざっくりと分かってくるのではないか?と思う。

ただ、決め手は最後の方の性愛の話である。これが一番ひどかった。
性愛がこの腐った世の中の問題の突破口になり得るということで良いことを語っているのだが・・・

若い男のこと全然考えてなくね?

よくよく聞いてみると若年男性に対してまともなアドバイスらしいものがないし、若い男に関して偏った見識しかなく、それを露わしながらも満足気な表情で語っている。

やっぱお前、「愛とかを大事にしてるけど、女ばっかり愛する奴」なの?

そこまで考えると、ツッコミどころがいっぱいである。

最後に

今回のテキストは「宮台真司襲撃事件の動機として一番可能性が高そうな記事」に対する言及を主な内容としたが、
ちょっと愚痴の掃き溜めの目的もあった。
宮台真司についてこういうことを一度は書いておきたかった。

ちなみに自分は、書籍『14歳の社会学』に関してはめちゃくちゃ評価してる。

個人的に「10代に読んで欲しい書籍」のランキングを作ったら高位に来るぐらい良い本だと思った。

この書籍が出たのは2009年らしく、自分がこれを読んだ時の感想としては「宮台真司は若者とコミュニケーションできる人」の印象があったのだが・・・
やはり「2010年代で人として劣化したのでは?」説が濃厚のような気がする。

「なんでこんな酷くなったんだよ。」 それが個人的な・・・宮台真司考察のスタートである。

宮台真司を支持する人のコメントだと「愛を感じる」といったものもよく見かける。
まぁエモーショナルな人なのは理解できないでもない。
(そういうことは新興宗教でもよくあることなので、自分は警戒しているが)

あと、実際に危機的状況になってからの対応の潔さとか、襲撃後からの立ち上がりが異常に早いのも確かにすごいと思う。サイヤ人かよ。

そうやって支持してる人がいるのも分かるけどさー。
ここで説明したように、ちょっとこれはどうなんだよって思うことも多いわけである。
愛を感じない発言も多過ぎるだろうこの人・・・

孤独死に関する先の記事の内容で、ちょっと引っかかる所があった・・・

宮台:いまの話にもあるように、金があろうと、若かろうと、SNSが途絶えても誰も訪ねてきてくれない男など、ざらにいます。加えて、本当に人と関われない引きこもり状態になることだってあり得ます。どんな心の状態なのか、いくつかケースを知っている僕にも、よくわからないんです。こんなにも周りが助けたいと思っているのに、すべて遮断してしまう。この本に登場する人たちの多くがそうです。

宮台真司氏が指摘する、年間3万人が孤独死する日本の切実な問題 - ログミーBiz

そう。こんなことを言っていた。
孤独死のケースに関しては、率直にその気持ちが「わからない」ということなんだろうか? 分からないからその気持ちによりそって対処することができないんだろうか? いや、実際そうなんだろう。
本当は『イーブイ片付けチャンネル』の二見文直社長みたいなやり方を理想としたいのだろうが、実際に「自身にはどうしてもそれができない」タイプなのかもしれない。
できないならできないでも良いと思う。そもそも実際に難しいことなので、それを素直にできないと言うことは駄目なことではないと思う。
しかし、社会学者として何か役割を果たさなければならない。その劣情と歪んだ感情から、汚い言葉使いによる手段が出てきてしまっているのかもしれない。

先も書いた通り、良い所もデカい人なのは理解しているのだが、欠点もデカい人なため、人によってはそれがどうしても致命的に見えてしまう。
「光」もデカいが、「闇」もデカ過ぎる人である。

その「闇」の部分において言動がパターン化されていて、話を聞いていてつまらない人間に聞こえるのだと思う。
宮台真司は「面白い人間になれ。」ということを力説したりするのだが、こんなつまらない人間にはなりたくない。

それから、「尊敬できるロールモデルを持った大人が今の社会では必要」ということも力説していたが、
こんな闇を抱える人間にはなりたくない・・・
頭が良すぎることと、女が好き過ぎることに原因があるんだろうか?
だったらそんな風にはなりたくないし、そうならないのが自分の人生で良かったと思う。
「闇」の部分が強すぎる人に対しては、そう考えてしまうではないか?

自分個人の願望としては・・・
今回の襲撃事件で期待しているのは、宮台さん自身の「変化」で、そうした「闇」の部分に気付いてくれて、なにか変わった反応が出てくれればその時は「面白い。」と思えるのだが・・・

結局、もし何も変わらなかったら、相変わらず「つまらない。」ってことになると思う。
そうなったら、「つまらないなら見なければ良い」って話になるため、もうどうでも良いって話になる。
今回は徹底的に分析するのに良い機会と思って掘り下げることにしてみたが、学べるものがなかったらもう無視とか放置で良いと思っている。他者がやってる思想や宗教は信仰の自由として尊重はするが、学べるもののない内容には興味がない。

宮台真司は本当は世直しがやりたい人で、そんなアツい動機から社会学をやっているのは分かる。『14歳の社会学』に関して良かったことは評価に値するし、(自分には関係ないが)過去の活動によって与えた影響は大きいらしい。
確かに、特定の世代と特定の思想に対して強い影響を与えることには成功したと思う。
しかし、若い世代の取り込みや今の時代に必要な現実的な思想との統合がなされないなら、その程度のもので終了し、「終わった社会学者」として過去に活躍した人として残るのではないだろうか?

そんな感じで、特定の人達に対して影響を与えた人物であり、思想的に一昔前の時代に適した役割を果たした人物であることは理解したけど、
特に面白くないなら今後は扱わなくても良いかな・・・
けど、もし自分の専門分野(ヌーソロジー)でその話が出てきたら、言及せざるを得ないので、それで「ここがおかしい」と思ったらまたツッコミをすることになるとは思う。

以上、そんな感じの考えでいるという、自分の意志表明でした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?