名前の由来

今回の内容はそれほど深くなくいきたい…

僕の名前はRaiki、ライキと読む。
僕はこの名前に強い誇りを持っている。
ライは未来の「来」、キは希望の「希」。
未来の希望という意味を授けてもらった。
未来の希望というからにはそれなりの生き方をしなきゃいけないなと自分を前に進める動力源であると共に足枷でもある名前だ。

親は希望ある未来が僕に来るようにという意味でつけてくれた。
もちろん太郎や一郎などといったシンプルな名前も日本らしくて好きだが、いい塩梅で(キラキラネームでもなく)つけてくれた素晴らしい名前だと自負している。親には感謝しかない。

足枷と書いたが流石に一人間に希望や未来というのは重い気もする…
だが1度きりの人生で半端な生き方をしては後悔する。妥協はしない。この瞬間を誠心誠意で生き、絶える。その精神性が捻りこまれた名前なのだと僕は思っている。(結果論だが)

未来や希望を背負うのはかなり重いがそれぐらいの方が面白い人生だろう。

未来の希望というのは客観的な未来にとっての(みんなにとっての)希望でもあると同時に、自分自身の未来の希望でもある。
みんなの未来の希望が僕だ!なんて傲慢極まりないと僕自身も思うが、問題は難しくて背負うものが大きいほど面白い。人生なんて目を閉じれば終わってしまうのではないか、それぐらい儚いものなのだろうと。銀河系から見たら我々の存在など瞬きに過ぎないのだろうと。(もしくはそれ以下か)
未来も希望も持たなくても人生は生きていける。未来や希望は人間に時に明るみを見せるが、同時にそれがない時に絶望を味わわせるものでもある。

そうやって自分の名前の意味を何度も何度も反芻しながら未来や希望を持つことは素晴らしい→未来や希望を持つことは絶望と同義だ→ 未来や希望を持つことは素晴らしい→…というのを繰り返す。九九転百起ぐらいした先に見える一筋の光それが僕の名前なのだろうと。

安直に未来や希望はあるとは言えない。しかしそれを実現させる為に一歩進む。倒れては這い上がり倒れては這い上がり、まるでゾンビのように生きる。それが私の、ライキという名を背負ったものの人生なのだろうと。

かなり深く考えてきたが僕の名前は充分な価値を持っている。名前は切っても切り離せない(もちろん役所申請などすれば一応できるが)。ある意味では一番身近にある概念。

僕はこれからも自分の名前に誇りを持っていきたい。


余談
某有名YouTuberのようにライキンというあだ名が数時間ぐらいあったのだが、ハンセン病の菌の名前のことをライという菌で「ライ菌」というため、非常に不謹慎極まりないとして言い返した覚えがある。だから某有名YouTuberのようなユーザーネームで活動することが絶対的に不可能だと今の僕も思っている。(あまり気にする人はいないだろうけどね)


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