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今を生きる

僕は割と夢想家である。
未来はこうであったらいいなと思ったり、自分の未来はこうなっているかなと想像したりする。
子どもの時からそうだったし想像するのが大好きだった。今もその傾向はある。
アニメやゲームの世界が好きなのもそれが具現化された(映像化された)ものだからだろう。

もちろんそれ自体は悪いことだとは思わない。
子どもの時に想像したことを大学になって叶えようとする人たちもいるし、そういう人たちがこの先の未来を牽引していく人間なのは確かだし、これから個の時代がより加速していけば需要は上がるだろう。

ただ、僕の場合はちと面倒で想像するだけで行動に移さない。というより、想像に時間を取られて無駄な時間を過ごしてしまう。

幼少期(3歳~6歳)から考えることが好きで、僕はこの期間を哲学期と読んでいる。文字の本はあまり読まなかったが図鑑を読んだり、博物館、水族館にはよく行ったものだ。後はテレビのドキュメンタリーとかを見ながら、何故、人は生き、死ぬのかなどを延々と考えたものだ。(この時の考えが確実に僕に影響してるのは確かだ。)ある意味で人の意見だったり、話を聞かなかったからこそ自分の中でひたすら考えたのだ。だからこその哲学期。そういう呼び方をしている。

そういう考えばっかり子どもの時からしてるせいで人の話をあまり聞いていなかったりすることは多々ある。(なんだったら今は興味のある話以外はシャットダウンすることがある程度出来てしまう癖がついているのでよりタチが悪い。)

辛い時に人は未来のことを夢見て頑張る生き物なのかもしれない。でも僕の場合はこれが仇となる。1番大きいのは時間の無駄だ。

言いたい事の結論から言えば想像する暇があるなら「今を生きて行動せよ」ということになる。
もちろん、未来を見ることが悪いとは言わないし否定もしない。なんだったら未来を見て歩んでいく人の方が多いのだろう。しかし、それをすると僕は動けない。

僕の言葉で言うと目の前のことに対して「最大火力」を出すことが出来ない。自分の能力100%全てを使って挑むことが出来ない。それは単純に時間が(想像しているせいで)減るからだ。

せっかく想像しても目の前のことに対して時間を使って頑張らなければその未来は来ない。

未来は今が連続した延長線上にあるものだ。

それを危惧し始めた頃が僕が13、4歳の頃。
その時から日常的に僕は想像することは止めた。この頃から僕は「一騎当千型」をとっている。一騎当千の意味は1人で千人の敵を相手にできるほど強いという意味だが、僕は少し解釈を変えてその一騎の気持ちになる。敵は千人。この状況下ではゆっくり考えることなんて出来ない。即座に判断を自分自身でやっていかないといけない。頼る人は誰もいない。(これまでの上記の僕では即死だろう。)
他に例えるならイメージで言えば目の前の仕事だったり、タスクだったり、宿題みたいなのが現実的だろうか。もちろん、これらは人に任せることも可能ではあるが、今は自分しかいないと考えよう。千人の兵(タスク)が押し迫ってくる。
ここで大事になってくるのが考えすぎずに行動すること。考え<行動の状況に追い込まれることで行動するしかなくなる。ひたすら目の前にいる敵を倒し続けることだ。
これが僕の考えの転換で今を生きるということ繋がる。

僕みたいな夢想家は未来を生きすぎるのだ。だから今を生きることを忘れる。

大事なのは今だ。

今がなければ未来はない。そういうことを感じた時からは今を生きるようにした。

ただ、注意としては考えること自体を否定している訳では無い。考える時は考えたらいいのだ。考える時間や場を設けてその決められた時間しっかり考えればいい。そういう時間が人生を豊かにするのは確かだろう。

今、世界がこういう状況下で未来に不安を抱くのは分かるが、それでも今を生きなきゃいけない。連続的な今が未来を創るからだ。決して未来を諦めずに今を生きて欲しい。

余談
僕のRaikiという名前は未来の希望という意味だが、上記の話では完全に未来も希望も否定しきっている。未来よりも今、理想や希望は抱きすぎない。自分の名前は理想ではあるけれど、それが決して現実的な対処法とは言えない。そういった自分の行動と名前の乖離みたいなものを抱いているのが僕なのだと思いながら生きている。



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