嫌ならやめろとか言う最高の言葉
世間一般常識ばかり言う、言われるのに嫌気がさしたのはいつからだろうか。
フィクションをフィクションだと、他人や社会がどこかずれている事に気づいて数年。しかし仲間は現れず、どんどんずれていく日々。
しかしそんなの関係ねぇと言わんばかりに、妙に強くなったような、強烈な直観のような物が働いて、そこに行きさえすればなんとなる、少なくともああはならない、と現代社会の数年の先輩のやらかしを胸に対策し続ける。
人は響かない物には目を向けない。響く物には目を向ける。
そんな当たり前を感じたからこそ、世間といういるんだかいないんだか、いちいちうぜぇ他人のことなんて気にせず、のびのびと生きるようになった。
大体学校教育とか終わってるだろ。プライドだけ高い学歴厨を生み出したんだからよ。他人を配慮するのに何エスパーになってんだよ、馬鹿馬鹿しい。
何かを手にしたりそこに行く時点でそこに用があるに決まってるんだわ。暇なら暇っていうし、人間観察なら人間観察っていうんだわ。
自意識が大事。どこでなにをしているのか、っていう。
しかしそれが必要じゃない社会の方がいい。馬鹿だとか何かが足りない、知らないというだけで変な顔をするのがおかしい。
鬱陶しいんだから鬱陶しいって言うに決まってるじゃん。ごちゃごちゃうるさいからごちゃごちゃうるさいって言う。クラブハウスとか特にそうで、あれ見方を変えればうるさいだけだよねw?楽しみにしている人だけ喜べるんだよねw?
身の程をわきまえろ。適材適所、要所要所、必要十分。ただそれだけ。他人がやってくれると思うな。きちんと依頼しろ。それすらできないから馬鹿って言われる。
人から伝えられる物はいい物ばかりじゃない。うん、それも当たり前。
馬鹿は言ったら理解できる馬鹿と言っても理解できない即行動タイプの馬鹿がいるので、自分のせいだと思う必要はなし。相手次第。
誰もが他人に勘違いされたくないので、1対1を望む。薄い事は薄いってはっきり言う。
教育や政治のせいです、間違えないようにしましょう。労働者同士お互いをいがみ合っても支配者側の思うつぼです、それぐらい理解しましょう。
制度にしろ人への対応にしろ、搾取している事にきちんと怒りましょう。
はい、今日は解散。
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