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空間には時間が流れてる 時間には空間が広がってる | 人生とは何か【2024年版】


定点カメラ、という撮影手法がある。

たとえば空に向けたカメラを一晩固定しておくと、
円盤のように回転する星空が映る。

たとえば街の高台にカメラを固定しておくと、
スクランブル交差点をわさわさ通り過ぎる人々が映る。

そして、

定点カメラとはちょっと違うけど
1年に一度あるかないかの帰省で地元へ行くと、

「あれ?あの店なくなったの?」
「え?ここに団地建ってる!?」

という年月の移り変わりを痛感することになる。

「今ここ」という“点ひとつ”、0次元。

ここから眺める空間は、

河の流れを水中から観るように、いろんなものが過ぎ去り揺らぎながら、未来に向かって流れている(ように感じる)…


…空間には時間が流れていて、

そこには80億人以上の「他者」がいる。


ーーー

ところで、

わたしがよくこういう遊びをするというだけの話なのだけれども、

「空間を時間的に」とらえるのなら、
「時間も空間的に」とらえておきたい。

人によっては「何?」となるかもしれない。
でも全然難しい話じゃないよ。

生まれてから死に向かって、
あなたという“点”が進む1本の道。

それが「時間を空間的に見る」ということだ。

これは1次元…線グラフみたいなもので…
直線で書いてもいいし、感情で上下させる人もいる。
人生山あり谷あり、というやつですね。

わかるかな。ここまでは全然イメージできるはず。

「脳内の紙」に“1本の線”、1次元。

でも、ここでまだ終わりではない。
まだ先があるんだよ。


それは、実は1本線とは限らない。

生まれた瞬間から常に、1歩ごとに、無数に枝分かれしていく別れ道の集合体かもしれない。
それらは必ずどこかで繋がり、ウネっていて、

三叉路だったり十字路だったり、
先が見えなかったり危険すぎて行き止まりだったり、
進んでいるつもりで堂々巡りをしていたり、
かろうじて目視はできても、とてもじゃないが辿り着けないと思うほど高すぎたり遠すぎたり…
眩しすぎたり、恐ろしいほど暗かったりする。

複雑すぎて、
もはや道でイメージするのもばかばかしくなって、

この辺で気がつくんじゃないだろうか、

人生は1次元の「1本道」ではなく
2次元の「地面」であり、
3次元の「この星そのもの」だということに。


そして、

ちゃっかりマルチバース的な考え方も取り入れるとしたら---そう東京でどこを振り向いても絶対に他人が目に入るのと同じような密度で---
その空間の全ての道路に、その道を選んでノソノソ歩いている無数のあなたが見えるだろう。

後ろに目を凝らせば、無数の子供時代のあなたたちが。
横を見渡せば、あなたと同じ背丈のあなたたちが。
そしてあなたの目の前には……

歳を取って、シワが増えて、
金持ちっぽかったり、子連れだったり、
病気にかかったり、老害になったり、
品のいいお年寄りになったりしているあなたたちが、
あなたを振り返っている。

あなたの人生という地球には80億の自分自身が住んでいて、その気になれば、そのうちの誰の、どんな視点からでも物事を見られるようになる……“なれる可能性”は誰しもが持っている。
当然練習は必須で、そんな甘くはないけど。

…時間には空間が広がっていて、

そこには80億回以上の「あなただけ」。


ーーー

うん。

おおむねこれが「今ここ」…2024年現在、
29歳のわたしが想う人生観、「人生という空間」だ。

これはなんかこう…物理学とかね、
そういういろんな仮説をフワッフワッと取り入れて構築しただけで、
これが正解とはあんまり思ってないし、他者に押し付けるつもりもないし、今後も変化するかもしれないから、
タイトルは【2024年版】に留めておく。


うーん。
だいぶスイートに書いたつもりだけれども、
わたしは人に伝えるのは得意じゃないので…

「そんなの全然論理的じゃないんだけど」
「ちょっと何言ってるかわからないです」
「考えるだけ時間の無駄」

とイライラしてる人もいるかもしれない。
いや、いる気しかせん。

それでも全然いいよ。
別にね、こんなこと考えなくてもマジ楽しく生きていけるし……もっと実用的なことに脳のリソース使えよと自分でも思うしね……
でも楽しいんだよね……赦されたいね……

…これはただのわたしの趣味、

暇さえあればこういう空想遊びをして意識を飛ばしてしまうんですよ、という記事でした。



付き合ってくれてありがとね。

おわり。

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