なぜだか妙にイマジンが聴きたい


18歳の時に福岡県から上京して舞台芸術学院に入学してから今に至るまで僕は何故演劇をしているのだろうか?

そんな疑問が日々自分の中で今まで膨らんでいました。

俳優を志したのは
モテたいとか情熱大陸でかっこつけたいとかそんな邪な理由で、別になんでも良かった。
ただ、上京してみたい。
情熱大陸で名言がいいたい。

それだけ。

だから何故か後ろめたさのようなものをずっと感じていました。

なぜ、演劇なんだろうか。

演劇が好きだから。
うーん。それは少し違うのかもしれない。
他にも好きな事は沢山ある。
例えば洋服や、音楽。
舞台を観に行くなら、大好きな洋服にお金を使いたい。大好きなバンドのライブを観に行きたい。
そう思う自分は確実に存在している。


ではこれか?
何かで自分を表現したい、表現活動をしたい。

じゃあ演劇じゃなくて良くないだろうか。
表現なんて他にも沢山ある。音楽や絵画や文学等々いくらでもある。

え?なんでやってんの?
そんな事を考えて考え抜いてよく分からないから考える事を放棄して、
しばらくしたら思い出して、また考えて。

そんな事を何度も繰り返していました。 

答えが欲しかったのか、
大義名分が欲しかったのか、

思考すること(してるふりをして)で後ろめたさのようなものから逃れたかったのかもしれない。

少しだけ話が脱線するが、
前回のnoteに書かせていただい通り。
今年の4月に青年劇場に入団して、
演劇活動を行うにあたってとても良い再スタートがきれたと思っています。
それはとても喜ばしくてこれから一生懸命やっていきたいと思う。

だが人生はそう上手くいかないものだなと痛感している。
4月に入ってから私の私生活はなかなか酷いものとなっている。
いや、酷いという表現は少し違う。

良い事と悪いことがグチャグチャに押し寄せてきただけで、精神がジェットコースターみたいにぐわんぐわんになっただけ。

単に恋人に振られたり、旧友と久しぶりに再会するも、僕たちはもう分かり合えないのかーと、悲しくなり。時の流れは残酷だなと勝手に絶望した。

でも、久しぶりに会った(5、6年以来とかの人もいる)友達や仲間とそんな期間がなかったかの様に楽しく話せたり、そんな中で自分のやりたいこと、やらなきゃいけないことが明確になったり、と熱い気持ちになれたり。とても刺激をもらった。

話は戻るが、
そのおかげでなのか分かりませんが。


なぜ演劇だなんだろうか?

という自問に
1つの気づきが生まれた。

綺麗事かも知れないが
人はきっと分かり合えると、
そんな希望を勝手に抱き今まで生きてきた。

しかし結局は分かり合えるわけないんだ、
他人なのだからという絶望。
それに対する孤独感も同時に抱いてきた。

そんな両極端な自己矛盾の中で葛藤し、もどかしさや歯痒さをずっとなんとなく感じていた。

その事に対する答えを無意識の中でずっと探していたのかも知れないし、今も探している。

だから演劇だったのかもしれない。

この肉体で、生で、そこで人間が存在し、葛藤し、生きて、一瞬一瞬の瞬間の人間模様を描く
演劇というものに無意識下で惹かれたのかも知れない。

もしかしたら僕の肉体の歴史の中では演劇を選んだ事は、偶然ではなくて必然だったのかも知れないなと思いました。


人間関係は難しい。
人それぞれに正義があって事情があって、
みんな違ってみんないい。

人間の関係性を描く芸術である演劇の中に、過去から現在に至るまで自分が求めている何かがあるのかもしれない。

その何かを探し続けているからこそ

始めたきっかけはどうであれ
その何かの、ヒントのようなものを探しているから
演劇を今でも続けているんだなと思いました。


これからの演劇活動で大切にしたいことがまた一つ増え、明確になったなと思いました。


なぜだか妙にイマジンが聴きたくなる夜でした。

清志郎のカバーを。



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