2歳次男のパンチから生まれた会話から考えたこと

ふとんに入って何分たっただろう。
興奮した2歳次男がぜんぜん寝ない。

眠いなーと思いながら次男のおなかをさすさすしながら「無」になっていたら、次男におなかをパンチされた。
完全に油断していてすごいいたい…。

「ママ、いたくてやだったよ。パンチしないで」と言ったら、次男はやばいと察して、でも謝らないまま両手を目にもっていて「えーんえーん」と口で言った。

いつの間にこんなマンガみたいな泣き真似できるようになったんだろうなぁと感心しながら、「どうしたの?」と聞いたら、ママに怒られたからえんえんしてるという。よくわかってる。

「そっかーほかにはえんえんしてる理由ある?」と聞いたら、「アイシュ!」

どういうこと!?
予想しない展開に思わず笑ってしまって、イラッとした気持ちがスススっとしぼんでいく。

「アイス?」と確認するとやはりアイスで聞き間違えではなく、「アイス、たべたい…」という。

まって、パンチの話どこいった、と思いつつ本人は真剣というか不幸な主人公みたいな顔でアイスを食べれないことを悲しがっているので、「アイス食べたかったね」と声をかけつつ、もうさすがに寝てくれと再び次男のおなかをさすさす。

静かになってもう寝るかなというとき、急に「ママ、おこってる?」と言われてびっくりした。 

「おこってないよ」と返事をしたら「よかったぁ」と言われ、「でもさっきはおなかいたかったよ」と伝えたら「ごめんね」と謝られて、なんでパンチしちゃったのかの話をした。
でも最後はまたアイスたべたい…とつぶやいていた(笑)


ぐるっとまわってそんな会話をして、最初に無理やりあやまらせなくてよかった、と思った。

パンチのあと、次男は泣き真似をして切り抜けようとしていた節もあっただけど、それもやってしまったという動揺やわたしがイラッとしてることを察しての防御反応で。

ふざけて遊んでいたつもりが、わたしをいたがらせしまい、いやだったよと言われて、次男なりに気持ちの整理するには時間が必要だったのだろうなと、なんとなく思った。


対話をするとき、沈黙を歓迎し相手の言葉を待つことが大切だとよく言われるけれど、対話の中でうまれた葛藤と向き合うことも、自分の中にある複雑な感情や考えを言葉にすることも、時間がかかる。

だからこそ、待つことで、自分からは見えていなかった、相手が見ているもの、相手の中にある世界を見せてもらえる瞬間がある。


パンチされたとき、わたしが次男に痛かったから謝りなさいと言ったり、パンチはしちゃだめなことなのになんでするだとお説教したりしていたら、きっと次男の中で、葛藤をしたりそれを消化することも、その結果自分から謝るということも起きなかったかもしれない。

ついつい子どもにいろいろ言いたくなってしまう瞬間は多いけれど、それによって奪ってしまうことがあることを、忘れずにいたいなぁと思った出来事だった。

ではではおやすみなさい。


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