自分の中にある無自覚に気づくこと。
自分で選択しているようで選択してない。
選択をしていないことに気付いてない。
そういうことって意外とあるのかもしれない。
毎日模写をはじめて、書体や書風を意識するようになって、毎日ノートや手帳にたくさん文字を書いているのに(手書きが大好きです)自分の字はなぜこの字(書風)なのだろう?と思った。
そう思うと、自分の中に、こういう字を書きたいというイメージもなく、とくに選ぶことなくいまの字を書いていることがとても不思議だ。
我が家の長男は小学生で、保育園の頃に小学校受験をするかしないかということは話題にしたことがあるけれの、小学校に行く行かないということは話していない。
当時、小学校に行かないというのは考えてなかったからだと思う。
(最近息子が行きたくないと言う日が出てきたので、行きたくないと言ったときにどう対応するか、行かなくなったらどんな選択肢があるかを話すようになった)
息子は早く寝かせなければと思っているけれど、本当にわたしはそう思っているかな?
と考えてみると、早寝早起きはよいことという風に言われていて、保育園や小学校の先生にも早寝早起きさせてくださいと言われているからで。
本当に必要か、
それが息子にとってもそうか、
息子自身がそれを選んでいるか、
というとそうではない。
子育てをしていてほんとうにこわいのは、自分の固定観念だ。
いい悪いの判断や、複数の可能性からの選択をすることなく自分がいままで生きてきた中で「当たり前」だと思っていること、してきたことを、無自覚に行いがちである。
その固定観念が、子どもという自分とはまったく別の人間の存在によって浮かびあがる。
それに気付いたとき、立ち止まり、選び直す。
長いこともっていた自分の当たり前に向き合いを手放すことは、そこそこしんどいときもあるのだけど、選び直すことができるというのは、子育てのGIFTのひとつだなぁと思います。
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