息をするように書く文章も時間とともにかわる
編集の仕事をはじめたばかりの頃、よく編集長にいわれていたのが「さやかさんのつけるタイトルは黒くてぎゅっとしてる」だった。
漢字、しかも画数多めの漢字を使いがちで、よくいえばきっちりしてわるくいえばかたくるしい文章が得意だったわけだけど、それは子育てメディアのコンテンツを編集したり、担当のライターさんと主にメールで関係性をつくりフィードバックをしていくにあたっては、まったく向いてなかった。
異動当時は、えーー社外の人のメールに「!」とか、顔文字いれたり、そんなゆるい言葉づかいしていいの?!大丈夫?!と、カルチャーショックを受けた。
いま思ってみれば、コーポレートの人事にいたときは、「会社として」「人事として」の文章が必要でたくさんの通達やお知らせを書いていた。
逆に編集者は「わたし」として、わたしがどう思うかを言葉にしなければいけなかったのだ。
それはわたしの仕事アイデンティティを入れ替えるような作業で当時それなりにたいへんだった。
そしてまたぐるっとまわっていま、事業部のHR的な仕事をするようになってふと気付いた。
文章、使い分けができるようになってるじゃん、と。
きっちり書くときもあるし、あえてゆるく文章を書くときもある。
無意識にやっていたけど、その使い分けは目的にあわせてかえていた。
伝えるを主におきたいときはきっちり書いていて、相手のリアクションや能動的なアクションをうみたいときはゆるく書いている。
誰にも気づかれないし、ほかの人からしたらどうでもいい変化だけど、当時の苦労がちゃんといまにつながっているんだなぁと自分の変化になんだかとてもうれしくなってしまった。
コメントやSNSなどで感想をもらえると喜びます!よかったら感想を教えてください^^