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ことばだけじゃなくて。

ことばで通じ合いたいと願うけれど、ことばが話せるからといって通じ合えるわけではない。

同じことばをつかっていても、そのことばに同じ意味をもたせているかはわからない。

それをわかっていても、ことばによってなんとなくわかりあえたような気になって安心したりするから不思議だ。


小1長男のイヤイヤ期は長く激しく、それはそれは対応にエネルギーをつかった。

イヤイヤ期のはじまりは1歳半前くらい。

まだ話せることばも少なく、状況とパターンで察しながらコミュニケーションをとるような時期だった。


だから、ふとした出来事で「いやー!」と泣き叫ぶ息子。

変えたり、やり直したり、気をそらせて切り替えにもっていこうとしたり、いろんな試行錯誤をしてもだめでほんとうにお手上げ状態。

とにかくなにがいやなのか教えてくれ、どうしたら泣きやむのか、お願いだから教えてくれよ、と思っていた。

ふだんの大人同士のコミュニケーションで、ことばに頼っていることを実感した出来事だった。


長男は大きくなって、自分の気持ちや状況を話せるようになった。

話してくれるから、ことばによって長男を理解できることも増えた。ありがたい。

だけどすべてをことばで説明できるかというとそういうわけでもない。


大きくなって感情も複雑になった分、ことばにすることがむずかしいこともある。

なんとなくやりたくない理由。

頭ではやったほうがいいってわかってるけど心がついていかないとき。

大人でも、自分の感情を正確につかみ、それをことばにするのはけっこうむずかしい。

夫婦ゲンカになるときなんかはだいたい感情的になりすぎて、ほんとの気持ちとことばがうまくつながっていない。


長男のイヤイヤ期のころ、はやくことばを話せるようになってほしいと思っていた。

ことばで説明してくれたら、理解できるのにって。

だけど、いくら大きくなっても、いくらことばにしても、すべてを伝えられ、すべてをことばにできるわけじゃない。

ことばにするよりも、泣くことで伝わることも、ハグすることで伝わることもある。

大丈夫、と言って泣いていたら、それは大丈夫ではない。

ことばだけに頼ってはいけなくて、相手をそのまんま見ること。

それをことばが補ってくれる。

そのくらいの感じがいいんだろうな。



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