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協力とかルールを守るとか。

息子が小学校にはいってもうすぐ1年になる。

小学校と保育園は違いだらけ。

その中のひとつがお便りに出てくる言葉だ。


「協力」とか「ルールや約束を守って」という集団行動についての言葉があきるほどでてくる。

そしてとにかく「〜させてください」という使役表現のオンパレード。


編集の仕事をしているから言葉が気になる質ではあるのだけど、それにしてもちょっとおなかいっぱいになるくらいの頻出加減なのだ。


今年度は休校期間に自宅学習があったこともあって、学校教育について「?」ばかりだった。


宿題の目的はなんなんだろう?

この課題の狙いはなんなんだろう?

家で宿題をサポートするにあたって、狙いや背景がわからないとどう声がけしてしたらよいのかわからない。


そんなところから、そもそもいまの学校教育はどんな方針で行われているのか知ろうと思い、学習指導要領を読みはじめた。

最近は文科省のサイトで公開されている今後の学校教育にかかわる会議の議事録を読んだり、これまでの学校教育の変遷について調べている。


文科省の資料はものすごい文字数のつっめつめの資料で印刷したらとてつもないボリュームになるのだけど、へぇーと思うことがいろいろあった。


「協力」や「ルールを守る」というのは、行事や学校の目標に設定されていたりもするので、教育的な目的なのかなと思っていた。

だけど国の方針の中にはそういった記述はない。


それをふまえて最近学校に行くことが多く授業の様子などをみていての勝手な仮説。

たくさん出てくるルールや協力という言葉は、子どもたちの教育的な目的ではなくて、集団をコントロールすることが大きな目的なのだと思う。


いまの35人、40人の子どもに先生が基本はひとりという授業スタイルだと、ルールを守って、先生に協力してくれないと授業ができない。つまり教育ができない。

だから教育をするために、集団をコントロールする必要があり、そのために静かに座る、手をあげて発言する、周りに迷惑をかけない、といったルールが必要になるのだ。


教育をするための手段である集団行動が、学校やクラスの目標や目的になるという不思議な現象がおきている。

そして教育をするために、どんどんルールが増え、協力が義務になっていく。


クラスあたりの子どもの数を減らしたり、先生の数を増やしたり、学ぶ環境の側をかえたら、実はこんなにたくさんルールがなくてもよくなるんじゃないのかなと思ったりするのです。

そしたら子どもたちも、先生も、もっと楽しく学べるんじゃないかなーと思ったり。


とはいえ、国単位で学校教育という大きなサイズのグランドデザインをつくりなおすというのはめちゃくちゃハードル高い話で。

一保護者としてできることはなんなんだろうなぁ。

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