子どもがかわいそう、という言葉。
母になって6年がたつ。
子どものささいなことで心配し、手探りな子育て。
いつ泣いてしまうかわからないこわさで子連れで電車に乗るのも不安だった長男の赤ちゃん時代。
そこからすれば、たくさんのハプニングとその対応を繰り返して経験値がふえた分、ちょっとはタフになったと思う。
それでも。
それでも、「子どもがかわいそう」という言葉に、傷つくわたしがいる。
頭ではわかっている。
保育園が楽しい場所で子どもたちがとっても成長すること。
靴下はかなくたって平気なこと。
発達のスピードはひとりひとりちがうこと。
しつけやわがままではないその子の特性があること。
などなどなど。
それらの言葉に対して、なんらかのエビデンスをもってきて説明したり説得したりすることも、しようと思えばできる。
だけど、かわいそうと言われてしまうと、いまだにダメージをうけてうまく言い返せないことが多い。
子どもが実際にそう思っているかはわからないのに。
子育ての"当たり前"は時代とともに変化しているとわかってるのに。
その人の時代や価値観とちがう、というだけなのに。
「子どもがかわいそう」という言葉に、愛情不足や親失格というメッセージをわたしは勝手に感じてしまうのだ。
なぜその言葉にわたしはダメージをうけるのだろう。
子育てに正解も完ぺきもない。
6年たっても、2回目でも、ほんとうにこれでいいのかなと迷うことも多いし、もっとこうしたらよかったかもしれないと反省することもある。
どうしたら息子と一緒に楽しく暮らせるだろうかと試行錯誤の毎日だ。
だから、できてないこともたくさんある。
自分によゆうがなくて遊んであげられなくて、寝るときにごめんねと伝える日もある。
着替えさせて〜と甘えてきた息子に、つかれていて自分で着替えられるでしょと言ってしまう日もある。
「子どもがかわいそう」という言葉に、わたしの中にある子どもへの罪悪感スイッチが押される。
それがきっとダメージの原因。
きっといつになっても、完ぺきな子育てはできない。
わたしも息子も、完ぺきな人間ではないから。
でもわたしと夫と息子たちと。
正解や完ぺきではない、わたしたち家族なりの暮らし方、楽しみ方、関わり方があるはずで。
それを見つけ実践する工夫を大切にしたい。
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