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表現をとおして得ること。

noteという場所でなにかを書くということも、表現のひとつ。


自分の手帳ではなくて誰かに見える場所に文章を置いておくことは、なんらかのフィードバックをもらうことだ。


スキや感想のコメント(いつもうれしいです。ありがとうございます)の反応もそうだし、反応が少ないというのもひとつのフィードバック。

それは次の表現への励ましになったり、刺激になったり、新たな工夫になったりする。


フィードバックは、ひとりだけで、誰にも見えないところで書いても得られないものなのだと思う。(昨日のnoteに書いたとおり、そんな文章はわたしにとって大切ではあるのだけれど)



小1の息子は、自分で描いた絵のお店をはじめて、好きで描いた絵にとてもたくさんのフィードバックをもらった。


それは彼にとって大きな自信になったり、創作意欲になったのはもちろん、新しいチャレンジにもつながっている。


プログラミング教室で、ビスケットという子ども向けのプログラミングアプリで自分で描いた絵を動かしてお話をつくったり、自分で絵を描いてゲームをつくりはじめたのだ。


お話もゲームも、ものすごく自由な発想でつくっていて、ちょっとうらやましいくらい。

新しい作品ができると、いつも自慢げに解説をしてくれる。



その教室では毎年大きな発表会があり、つくった作品を発表することができる。

去年はお客さんとしてあそびにいったそのイベントに、息子は今年、発表者として参加することを自分で決めた。


はずかしかったり自信がなかったりなにかと「やめとく」ということが多い息子にとってはそれだけでも大きな変化だ。



今日はその発表会のリハーサルだったのだけど、子どもたちはとても楽しそうに準備をしていた。


発表会、というとなんだかかしこまって、緊張感ある雰囲気でガチガチに練習して…みたいなイメージだけどまったくちがう。

まさに好きで楽しくつくっている作品を発表をとおしておすそわけしている世界だった。

自分の作品を楽しそうにうれしそうに説明していて、他の子の作品をみたりやったりして「ここがすごいね」とか「これはどうやってやるの?」とか、お互いの作品へのリスペクトがある。

帰り道、息子はすこし大きいお兄さんがつくっていたゲームのおもしろさについて興奮気味に語っていた。


そんな息子や子どもたちの様子をみて思ったのは、表現は楽しいことだってこと。



がんばってやらなきゃとか、たくさんの人に見てもらわなきゃとか、そんな風に肩に力をいれなくていい。


まずは自分の心が動いているか。

心を動かし作品をつくることに没頭していったその先に、同じような仲間と出会ったり、作品を好きになってくれる人がいるんだよね、きっと。



発表会の本番で息子はどんな体験をするのだろう。

緊張もするだろう。

失敗することもあるかもしれない。


でもきっとそれらもまるっとふくめてまたすこし成長するんだろうな。

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