学校に行くことがゴールではなくて。
息子と手をつないで送り迎えの道を歩くのも最後か。
バタバタでたいへんな送り迎えだったけど、保育園を卒園するとき、もうこれで終わりだと思うと寂しい気持ちがあった。
あれから1年。
2時間目にあわせて息子と手をつないで学校に行き、持ち帰りの荷物を持って一緒に帰ってきた。
小学校は保育園とちがって先生と顔を合わせないから情報はいってこないよ、なんて先輩ママから言われていたけど、小学校までの道のりを、この1年間で何往復しただろう。
往復20分、ちょうどいいお散歩の距離。
息子と手をつないで話をしながら、不思議な1年間だったなーといろんなことを思い出す。
とつぜんの休校、次男と留守番した入学式、配布された課題プリントとの格闘、分散登校、やっとはじまった給食。
あっという間に帰省できない夏休み、はじめて「行きたくない!」と号泣した日。
そこから半年、とにかくたいへんだった。気持ち的にも対応的にも。
前向きにいえば、育休中だったから息子に寄り添って対応を選択しやすかったことは幸いだった。
そして息子のおかげで考える機会を得た。
学校教育について、学校のもつ機能や学校になにを期待しているのかについて。
学びの保障、子どもの権利、親としてできること。
みんなと同じルートを行かないという選択は、それなりにハードだ。
ほんとに学校行かなきゃいけないんだっけ?
必要な学びはなんなんだろう?
宿題ってなんのためにあるの?
そのルールは誰のため?なんのため?
それまでの当たり前をひとつひとつ、「ほんと?」「なんでだっけ?」と考え直して、自分なりの答えをつくって行かなきゃきけない。
先生もスクールカウンセラーさんも親も、どうしたら学校に行けるか?を考えがちで。
だけど、学校に行くことがゴールなんだっけ?
学校に行けても楽しくなくて我慢してさえない顔をしていてもいいんだっけ?
そう立ち止まる。
小学校では、生活の授業で息子が育てていたチューリップが大きな大きな花を咲かせていた。
「ママ、見て!ぼくのチューリップ咲いてる!」
うれしそうに息子が言った。
ふつうに登校していたら、このチューリップは一緒に見られなかった。
こんな風に息子が笑って過ごせること。
それが大切なこと、大切にしたいことなのだと、1年生が終わる今、改めて考える。
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