1歳次男の言葉にならない言葉をキャッチできるのはなぜなのか。
我が家の次男は1歳半。
1番はっきり聞き取れる言葉は「やだ!」と「ばいばい」
たくさんおしゃべりするけれど、まだ言葉の手前のふわふわした発語のものが多くて、それだけ聞いているとなにを言っているかの判別はたぶんけっこうむずかしい。
だけど、一緒に暮らすわたしや夫だとその言葉を聞き取って対応することができたり、夫がキャッチできないときにもわたしは次男が言っていることが聞こえて理解できるときがけっこうある。
耳が慣れたからわたしには聞き取れるのかなと思っていたのだけど、そうじゃなかった。
言葉を聞き取れている、という認識がそもそもずれていて実はちゃんと聞き取れていないのだけど勝手に情報を補正して聞こえているように感じているだけなのだということに最近気がついた。
たとえば最近次男は救急車が大好きで絵本に救急車がでてきたり、救急車のサイレンの音が聞こえてくると「きゅうきゅうしゃ」と言う。
わたしの耳は次男が「きゅうきゅうしゃ」と言っているように認知して、「ほんとだね、救急車だねー」と返していて、自然に会話がなりたっている、というような状況がよくある。
それでわたしは次男は「救急車」とは言えてないが「きゅーきゅーしゃ」くらいの発音だなーと思っていたのだけど、次男が「きゅーきゅーしゃ」と言ってる動画をよく聞いてみたらぜんぜん「きゅーきゅーしゃ」じゃない(笑)
正確には「ちゅーちゅーしゃ」くらいの音だった。
だけどわたしは自動的に「ちゅーちゅーしゃ」を「きゅーきゅーしゃ」に変換し「救急車」と理解しているのだ。
それでなぜこう言葉の自動補正ができるのか考えてみたら、ふたつの文脈がポイントなのだと思った。
ひとつめが、現在の状況との文脈。
さっきの例でいうと、たとえばトイレでとつぜん「ちゅーちゅーしゃ」と言われてもわからないけど、救急車のサイレンが聞こえてきた瞬間に「ちゅーちゅーしゃ」と言われたら、その状況とつなぎあわせて「救急車」という意味をみつけやすくなる。
ふたつめが、過去との文脈。
過去の同じようなシチュエーションのときのケースとつなげて判別するということ。
たとえば前にご飯中に泣いて怒って「しゅっぷん!!!」と逝ってたときに、これ?それともこれ?と、テーブルの上にあるものを指さして確認したら「スプーン」でうんうんうなづき、スプーンを渡したら泣き止んだことがある、みたいなこと。
この片方もしくは両方の文脈から、その言葉と次男のニーズを察するということが行われているようだ。
と、個人的な謎がとけて非常にすっきりした。
同時に思ったのは、きっと赤ちゃんにだけでなく、ふだんの大人とのコミュニケーションでも人はさまざまな文脈から相手の言葉を理解しようとしている。
とすると、理解しようとするためになんらかの文脈とつなげようとしているはずなのに、相手がその言葉を発した文脈とは異なる文脈で理解しようとすると、言葉の理解は当たり前にずれる。
それが過去に一緒に経験した文脈であれば大きくはずれないかもしれないけれど、別の会社での経験や別の価値観、小さい頃の家族のブンカみたいな相手と明らかに異なる自分だけの文脈で理解しようとするとめちゃくちゃにずれる。
というのがたとえばふたり暮らしをはじめたばかりのカップルや、転職したての時期におきがちなギャップをうむ。
で、それをひっくり返してみると、文化をつくるということは同じ文脈を共有していくプロセスとも言えるのかもしれないなぁ。
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