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リモコンがなくなった。

「小さいリモコン」がなくなって2日が過ぎた。

ことのはじまりは3日前の夜。

アレクサが「寝る準備の時間だよ」とリマインドしてくれて(親がうるさく言う代わりにアレクサに言ってもらうという息子ハックのひとつ)、さぁもうテレビはおしまいというとき。

なぜか息子が「ママ目をつぶってて!」というので仕方なく目をとじていたら、息子が小さいリモコンと呼んでいるfire TVスティックを隠してあて「どこに隠したでしょう?」と宝探しならぬリモコン探しがはじまった。なぜ、いまこのタイミング…?

「ないなーどこかなー」とリモコンを探しながら、ほら歯みがき、トイレいった?、息子の寝る準備を促して、リモコンは見つけられないまま寝かしつけが終わったときにはすっかりリモコンのことを忘れていた。

翌朝、「ねぇママ、リモコンしらない?」と聞かれ「どこに隠したの?」と聞き返す。

「そうだった!ちょっともってくるからママ目つぶってて」またかよ。隠したこと忘れないでよ、なんてのんきに思ってたら、戻ってきた息子が真剣な顔で「いつもかくしてたところにリモコンなかった」とカラスみたいなことを言う。

一緒に探してみるも見つからない。

息子はいつもAmazonプライムのアニメをTVでBGMのようにかけながら、絵を描いたり、レゴしたり、タブレットでゲームをして遊んでいる。

もともと私も夫もほとんどTVをつけない生活をしてたので、我が家のTVはすっかり息子専用と化しており、朝起きると小さいリモコンでTVを見始めるのが息子のルーチンだ。

朝起こしても起きないときには、今起きたら学校行く前にTV1つ見れるよというと起きる。完全なTVっ子である。

しかし小さいリモコンはない。TVはみれない。(正確にはアマプラがみれない)

そんなわけで2日間、久しぶりにTVなしの生活をしていたら、さすがに家の中にあきてきたらしくいつもは外に遊びに行きたがらない息子が外に行きたがったり、最近は全然遊んでなかったカードゲームやおもちゃを出してきて遊んだり。オリジナルゲームをつくったり。

いつものTVがなくなったことで「なにしようかな」と言いながら、遊んでいる。

なにをするかを決める、というのにはエネルギーがいる。

ルーチンがあることで、意思決定を減らすことができる。

スティーブジョブズがいつも黒いタートルネックを着ていたように。(息子のTVと比べたらジョブズに申し訳ない)

だけど、そのルーチンをやめたり変えたりすることで生まれる変化もあるんだなぁ。

今日も読んでいただいてありがとうございます。

わたしはたぶんルーチンがいっぱいある人なので、ルーチンの見直ししようかなーと思った今日でした。

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