ひとりでやらないからできたこと
「ワークショップの細かな設計の意図の明確化と言語化が上手い」というフィードバックをもらった。
自分ではいつもやってるのと同じような感覚でワークショップの企画進行表を書いていたから、びっくりして、それからうれしくなった。
わたしが意図の明確化と言語化が上手いとしたら、それはワークショップをひとりでやってこなかったからだ。
ひとりじゃなかったから、なぜそのワークを考えたか、なぜその問いにするのか、なぜその流れがいいと思ったか、感覚ではなく言葉にして伝える必要があったし、伝えるだけでなく相手の意見を聞いて一緒に意思決定していく必要があった。
ワークショップでもイベントでも会議でも、(大きな意味では記事にしても、メールやチャットの文章も同じだと思っているけど)目指す状態や目的に対してできることはたくさんある。
最初から最後まで、ひとつひとつぜんぶに意図をこめる。
それが届ける努力なんだと思っている。
だけど、それを誰かとやるのはめちゃくちゃたいへん。
大きなことから小さなことまでとても多くの意思決定が必要で、一緒に意思決定するには目的やコンセプトを同じ解像度でみて理解することが必要になる。
何度も何度も、目的とコンテンツと仕掛けと意図を行ったり来たりしながら、言葉をすりあわせ、意図をすり合わせ、届いた先の受け取り手がどう感じるかのイメージをすり合わせる。
そのために、言葉をかえ、ニュアンスを調整し、意味を考え直し、お互いにこれだ!と思えるところまで言葉をあわせていく。
めちゃくちゃ根気のいる作業だ。
ワークショップを始めた頃は、前職の同僚や現夫と。
ここ何年かは会社の仲間やコミュニティの友人たちと一緒にワークショップをつくることが多かった。
それで振り返ってみて思うのは、そうやって何度も話し合いを繰り返し一緒にワークショップをつくったことで、一緒につくった相手との相互理解や信頼関係が深くなる。
それはワークショップの言語化という作業を通じて、お互いの考えを聞き、話すということをやってきたからなのだと思う。
誰かと一緒にやる、というのはたいへんだ。
一緒に意思決定するには対話が必要で、対話には時間もエネルギーもかかる。
だけど、誰かと一緒にやることで意図や言語化ができると、それはそのまま質に直結する。
ひとりで感覚的にやるのとはまったくちがう結果がうまれる。
チームでやるって、めんどくさくって回り道になったりもするけど、それをする以上に得られるものがあるのだと思うし、その道のりを一緒に歩いたからこそうまれる関係があるのだと思う。
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