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「サナギのしあわせ」を書いたときのこと(後編)

 2008年の講談社児童文学新人賞の応募期限は、現在とは違って4月8日でしたが、3月1日の時点で「サナギのしあわせ」のアイデアはまったく思いついていませんでした。
 40日弱でまったくゼロの状態から長編のリアリズム作品を完成させる。いまそういう依頼をもらっても、まず「無理です」とこたえます。
 それでもなんとか応募原稿を書きあげることができたのは、そのころ自分自身が感じていたことや過去の経験をうまく物語に活用できたから、そしてキャラクターに助けられたからだったと思います。

 私はたいてい、アイデアをまとめてプロットを組むまでにいちばん苦労します。応募期限まで時間がないなかで、馴染みのないテーマを選んであれこれ調べものをしながらアイデアを検討していたら、プロットが完成するまえに期限がきてしまうおそれもありました。
 そこで新たな応募作では、当時リアルタイムで自分が感じていたこと、もやもやしていた思いを、そのまま物語のテーマにすることに決めました。

「サナギのしあわせ」は小学校の卒業を間近にひかえ、仲のいいクラスメイトと離れ離れになりたくないと願う少年・ワタルの物語ですが、この「親しい友達と別れたくない」という思いは、このころ私自身が強く感じていたことでした。当時私は大学院に進んでいたのですが、仲のよかった後輩たちがまもなく大学を卒業するという時期で、彼らとなかなか会えなくなってしまうことを、とても寂しく思っていたのです。
 自分自身の思いと物語のテーマを重ねたことで、主人公の気持ちも想像しやすくなり、物語の展開も驚くほどするすると決まっていきました。物語の終盤で、親しい仲間との別れについてワタルがたどりつく結論は、私自身の願いでもありました。

 テーマのほかにも、自分の過去の経験を積極的に活用することで、執筆がスムースに進むように試みました。
 例えば、物語のなかでワタルはクラスの仲間と映画を撮っているのですが、私も小学校時代に友達と映画を撮った経験がありました。ワタルとおなじく監督兼脚本兼カメラ担当だったので、撮影の要領もだいたいわかっていましたし、メンバーをまとめる難しさも実感していました。
 主人公のワタルの造形も、これまで書いたどの作品の主人公よりも、私自身に近いものになっています。やはり自分と似通ったキャラのほうが、発言や反応を想像しやすいですからね。もっとも私はワタルのようにいい子ではありませんでしたが。

 そんなふうに工夫をすることで、約1週間という短期間で奇跡的に詳細なプロットを組みあげることができたのですが、その後の執筆にあたっては、書きやすいキャラと書きたいキャラに非常に助けられました。

 書きやすいキャラについて話すと、主人公のワタルに次いで物語内で重要な役割を果たすジーエムは、小学生のころからの友人をモデルにしていました。ジーエムは「サナギのしあわせ」のなかでもっとも個性の強いキャラクターですが、言葉遣いなどは小学校時代の友人ほぼそのままです。
 このため、ジーエムの科白は小学生のころの彼を思いだすと、いいそうなことが自然と耳にきこえてきて、書くのがとても楽でした。ジーエムがいきいきとしゃべってくれるので、彼と絡むほかのキャラクターたちの言動もいっしょにいきいきとしたものになっていきました。

 また、私は書きたいキャラがいると執筆がはかどるのですが、「サナギのしあわせ」の草稿を書きはじめてみると、いまいち執筆のペースが上がりませんでした。メインキャラのワタル・ジーエム・ザッキーはみんな好きだったのですが、まだちょっと書きたい度が足らなかったのです。具体的にはかわいい成分が足らない。ということで急遽キュート系男子のカナをキャストに追加しました。
 カナを書くのはほんとうにたのしかったです。途中であまりに原稿が進まなくて、これはもう無理じゃないかと思いかけたときも、カナが登場する場面だけはすらすら書けるので、もうちょっと頑張ってみようという気になれました。「サナギのしあわせ」を最後まで書きあげられたのは、カナのおかげといっても過言ではありません。
 ちなみに後年、「またカナみたいなキャラが書きたい」というところから出発して書いたのが『シンデレラウミウシの彼女』です。

 続けて「サナギのしあわせ」の執筆がどのようなペースで進んでいったかをご紹介しようと思うのですが、当時の日記を読みかえすと、プロットがまとまって草稿を書きはじめたのが〆切ほぼ1ヶ月前の3月7日でした。
 序盤はやはりなかなか筆が進まなくて、9日後の3月16日の時点で書けていたのは400字詰めの原稿用紙換算でわずか29枚分。この時点であきらめなかったのが我ながら不思議ですが、おそらくどうしても応募したい、作家になりたいという強い気持ちが、執筆を止めさせなかったのでしょう。

 日記がとびとびにしか残っていないのですが、1週間後の3月23日の時点で累計75枚。この1週間も順調なときは1日に20枚ほど進んだものの、だめなときは1日2枚なんて日もあったようです。
 3月末でなんとか物語前半の120枚強を書き終わり、応募期限まで残り8日というところで急にブーストがかかりました。4月1日からの3日間、毎日早朝から深夜3時ごろまでひたすら原稿を書き続け、いっきに後半部分を書き終えて草稿を完成させたのです。最終日の4月3日に書いた量は、原稿用紙換算で40枚を超えていました。

 その後、ぎりぎりまで推敲をして〆切当日の23時に郵便局の窓口で原稿を無事発送。ハイな気分で郵便局を出ると、向かいの建物のカラオケ店の看板が目にはいって、そこで朝までひとりカラオケをして帰宅しました。
 カラオケで歌っているときは調子がよかったのですが、帰った途端にとてつもない疲労感に襲われてその日はまともに動けず、翌日以降も「あ、これどこか内臓がまずいんじゃないかな」というタイプの不調が続きました。明らかに健康によくないスケジュールでしたので、皆様はもっと余裕をもって執筆を進めることをおすすめします。

 スケジュールについては参考どころか完全に反面教師ですが、こんなぎりぎりの進捗でも、頑張ればなんとか応募原稿を完成させられるんだということで、講談社新人賞を目指している皆様の励みになったら幸いです。

 最後に、前編の記事で、過去の受賞作を読んでみるといいかもしれませんよ、と書きましたが、実際に読んでみると、そのレベルの高さに「こんなすごいの書けないよ…」と落ちこむこともあるかもしれません。私も「サナギのしあわせ」の執筆前に歴代の受賞作を読んで、だいぶ絶望的な気分になりました。
 しかしそれほど心配しなくてもだいじょうぶです。

 もちろん受賞作のなかには、応募原稿の段階でそのまま出版できるほど完成度の高い作品もあるでしょう。しかしおそらく多くの作品は、受賞後にプロの編集者さんの協力を得て、内容をみがきあげてから出版されています。たいていの場合、応募原稿よりもかなりレベルが上がっているのです。
 いい例として、私の『サナギの見る夢』などは、受賞後の改稿が大規模すぎて、応募原稿とはほとんど別物になっています。枚数も応募時から50枚以上増えていますし、応募原稿の「サナギのしあわせ」にはオカルト要素もなく、クライマックスの展開も非常に地味だったのです。

 なので出版された過去の受賞作とくらべて、文章や構成が見劣りしたとしても、その応募作が光るものを持っていて、誠実に書かれた作品であれば、賞に選ばれるチャンスはきっとあると思います。
 この物語なら読者の子どもたちにたのしんでもらえる、心に響かせられる。あなたがそう信じる物語を、自信を持って最後まで書きあげてください。選考委員のひとりとして、全力で大賞に推せる作品と出会えるよう、皆様の力作を心からお待ちしています。

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