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ビジネス弁としての「させていただきます」

1 「させていただく」が嫌です。

・ご説明させていただきます。
・メールを送信させていただきます。
・司会を務めさせていただきます。
・映画○○で**役を演じさせていただきました。

 正直、これを多用することにはかなりの違和感があります。標準的なビジネスマナーの顔をしてまかり通っているように思うんですが、極端な話、便利なだけで中身のない雰囲気だけの丁寧語風トッピングで文面を水増しして、その場をごまかそうとしている感じを覚えることすらあります。(あくまで受け手としての一個人の感想です。)
 その話をツイッターでつぶやくなどしたところ、ありがたくもいろいろな方からコメントや電話をいただき、とても参考になりました。そのなかで本当に心をこめてこの言葉を使用している方もあると知り、自分の違和感だけを根拠に間違った用法だと断定するのはちょっとヤバいなと考え直したので、こうして記事にしてみました。
なるべく愚痴や揚げ足とりは避け、どうすればこの言葉とストレスなくつきあえるかを考えてみるつもりです。
 ただこれは調査研究とかではなく、趣味でやっている遊びの考え事で、今の自分の素直な感覚を書き残すのが目的なので、あんまり客観性はありません。同じ理由でググるとたくさん出てくる「させていただく問題」の記事や文献も読まずに書くようにしています。ご了承ください。

2 「させてもらう」との違い

・やめさせてもらうわ!
・ずいぶんのんびりさせてもらった。
・そのゲーム一回プレイさせてもらってもいい?
・高みの見物とさせてもらおう。 

 まず「させていただく」との使い方を考えるにあたって、この言い方になると、なんだか急に違和感が減る感じがすることに注目してみました。みなさんはどうでしょうか。私は、回りくどい印象は受けつつも自然に受け入れています。自分で使うこともあります。
 たぶんこれが気にならないのは、普段の喋り言葉でありビジネス言葉ではないこと、そして普段の喋り言葉には文法の正しさを求めない(そこをこだわるのは頭が硬すぎてやりたくない)からだと思います。裏を返せば「させていただきます」が気になるのは、あくまでビジネスの場面で用いられているからだとも言えます。
 さらに考えると、仕事と私生活は完全に別物、仕事はきちんとした態度で臨むもの、といった私の信念の強さが、「させていただく」に対する違和感をより強化している側面もありそうです。普段遣いの言葉である「させてもらう」をビジネス言葉として用いることは、私にとっては普段着でうっかり出勤してしまうようなことで、大切な境界をないがしろにしているような危うさを覚えるのです。
 となると、仕事と私生活の境界についていちいち神経質にならんぞという価値観なら、そもそもこの語に対する感覚も変わってくるのかもしれません。ここまでくると仕事観や人生観の話なので深く考えるのはやめますが、少なくも違和感を持つ人持たない人どちらの感覚も、なるべく傷つけない受け取り方を探ってゆくつもりです。

3 私のスタンス

 結論からいうと、
①私は普段遣いの言葉として、「させてもらう」は普通に使います。
②許可・恩恵を表す「させていただく」は、適切な用法として理解します。
③②以外の「させていただく」は、ある種の方言のようなものとして捉えてみようと思います。

 ①について。私が気になるから私が使うのはやめよう、でも気にし過ぎもヤバいかなという話なので、気にならない言葉は普通に使います。
 ②については4以降で書きますが、辞典を2つと文化庁の動画を1つ参照したところ、許可・恩恵を表す語であるという解説がありまして、私の「させてもらう」の理解とも一致したので、この意味においては仕事上でも用いるつもりです。この用法までひっくるめて「させていただく」が全部誤用だと捉えるのはやめます。
 ③が今回の本筋です。これを②と区別して捉えることが私のアイデアで、そのためにも妥協と距離感を込めてビジネス弁と名付けてみます。私はこの言葉の存在を認める一方で、訛り言葉であり、ある世界でのみ広まっている独特の言葉であり標準語ではないと解釈します。訛り言葉を一概に間違いだと指摘するのは道義に反しますから、これを使用してよいかどうかは相手をみて都度判断すればよいものと考え、そして、多用する方が周りにいれば、ビジネス訛りが強いんだなあと思うことにします。
 私ももしかしたら、文脈的に適切だと判断した場面ではビジネス弁を使用するかもしれません。考えてみれば、相手への親近感などを狙って地元の方言で話すことは今もありますし、それと同じように捉えたほうが、何かと気が楽になりそうだからです。
 ただし、ビジネス弁を「使ってもよい言葉」と捉える一方で、その使用をビジネスマナーとして標準化させる動きには抵抗します。一般的に「使ってもよい言葉」と「使うべき言葉」は違います。文法上適切な用法を逸脱した「させていただきます」はある世界で発生し、ある世界のなかだけでのみ使用を許される特殊なフレーズであり、使用してもよい場面を自主的に判断することこそがマナーだと考えます。

4 辞書いわく、許可を意味するもの

 ここからは、適切な用法について辞書に基づき考えてゆきます。
 主に槍玉に挙げるのは「メールをさせていただきます」です。まず懐かしの品詞分解をしてみました。

・さ=動詞「する」の未然形。
・せ=助動詞「せる」の連用形。
・て=接続助詞。
・いただき=補助動詞「いただく」の連用形。
・ます=助動詞。

 「する」はするという意味で、「て」はそれ自体に意味はなく、「ます」は丁寧の意味で間違いありません。
 残りの、助動詞「せる」と補助動詞「いただく」がややこしいので、以下でまとめつつ考えてみます。

(1)せる
 「せる」は中学国語では使役の助動詞として習いました。使役とはたとえば、部下にコピーをさせる、車をエンストさせるなどの、なにかが他のなにかに動作をさせるってことですね。
 「メールを送信させていただきます」の「せ」が単純に使役なら、「お客様が私にメールを送信させます」なのか。さっぱり意味がわかりません。この助動詞を単に使役と読むことは間違いであるようです。

 ではつぎに、ググるとすぐに出てくる精選版 日本国語大辞典の解説を抜粋してみますと、

[一] 使役の意を表わす。
① 他にその動作をさせる意、またはそのように誘発する意を表わす。
※平家(13C前)四「馬の足の及ばうほどは、手綱をくれて歩ませよ。はづまばかい繰って泳がせよ」
② そのような動作、作用が行なわれることを許可する、またはそのまま放任する意を表わす。…のままにする。…させておく。武士ことばとして、受身の「る」の代わりに用いられることがある。
※土左(935頃)承平五年二月一六日「こよひ、かかることと、声高にものも言はせず」
③ 許しを依頼する意を表わす。
※都会の憂鬱(1923)〈佐藤春夫〉「あなたの顔を描かせていただきたいものですね」

 使役のなかに、許すぞとか許してくださいの意味を込める用法があると出てきました。また、初出というわけではないでしょうけど、例文は100年くらい前のものです。

 許してくださいの感じはわかります。いまや街じゅうで見かける「感染拡大予防のため、20時閉店とさせていただきます」の用法ですよね。「閉店とします」より、もっと遅い時間までお客様をおもてなししたいところですが、やむを得ず時短営業とすることをお許しください、という姿勢が表現されています。許すぞ、の感じもわかります。悪の組織の偉いやつが部下を放任して「構わん。好きにさせておけ」。

 ビジネスマンが言うところの「司会進行をさせていただく」などはこの使役のなかでも許可の意味ですね。未熟者の私が司会進行の役を務めることをお許しください、ならオッケーです。許してくださいの温度については話者、受け手ともに個人差があるように思いますが、語意の定説に従った用法であることは確かだと思います。つまり、先述した②です。
 では、「メールを送信させていただきます」が使役・許可なら「メールを送信することをお許しください」になるのでしょうか。こちらも単なる使役と理解するよりは意味が通りますが、さすがに話が重すぎてゲンナリします。電話や訪問などであればこちらの時間を奪うわけなのでアポを取ってほしいですが、メールはそうじゃないので勝手に送ってくれたらいいんじゃないですか。この用法はビジネス弁ととります。存在は認めますが、使われると困ることがあります。
 だって、メールについて許可を求められても、許可する/しないの余地がどこにもない。だから「わかりました」以外の返事がありえない。そうなると、なんだ無意味なこのやりとりは、という違和感が膨れ上がり、ともすると「相手につきあって「わかりました」を台本通りに言わされてる感」さえ抱きます。これは過剰なやり取りですね。過剰な情報は、それを聞き流すとか無視するという作業を要求してくるので、受け手としての仕事が増えて困ります。

 ちなみに大辞典の続きには、

[二] 敬意を表わす。
① (尊敬を表わす語とともに用いて) 尊敬の意を強める。
② (謙譲を表わす語とともに用いて) 謙譲の意を強める。
(4)敬語としての用法は、使役の表現が動作の間接性を表わすところから転じたものと見られる。
(5)現在では「行幸あらせられた」など、「られる」と重ねて改まった尊敬の気持を表わす場合のほかは、敬意を表わすのには用いられない。

だそうですが、「せる」の主体へ敬意を表すことになるので、「メールを送信させていただく」主体である自分への敬意を表しているわけがありません。

 もうひとつ、ググるとすぐに出てきて、新しい単語にも強くて重宝するデジタル大辞泉を参照します。だいたい同じ内容でした。

1 相手が自分の思うようにするよう。また、ある事態が起こるようにしむける意を表す。「使いに行かせる」「あすは休ませてやる」
2 (「せていただく」「せてもらう」の形で)相手方の許しを求めて行動する意を表す。「言わせていただく」「やらせてもらう」
3 (「せられる」「せたもう」の形で)尊敬の意を表す。「殿下は極めてご多忙であらせられる」→させる

(2)いただく(補助動詞)

 つぎに「いただく」についてです。ごはんをいただきますではなく、「て」で語尾につくので補助動詞。
 デジタル大辞泉によりますと、

㋐(動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)話し手または動作の受け手にとって恩恵となる行為を他者から受ける意を表す。「せっかく来て―・いたのですが、主人は今おりません」
㋑(接頭語「お」または「御(ご)」に動詞の連用形またはサ変動詞の語幹を添えた形に付いて)8㋐に同じ。「御心配―・きまして」「御審議―・きたい」
㋒(動詞の未然形に使役の助動詞「せる」「させる」の連用形、接続助詞「て」を添えた形に付いて)自己がある動作をするのを、他人に許してもらう意を表す。「させてもらう」の謙譲語。「あとで読ませて―・きます」「本日は休業させて―・きます」

「せる」とセットにしたとき限定の用法として、ここでも許可を得るという意味が登場していますね。つまり、「せる」「いただく」単独には存在しない意味が、合体して「せていただく」になったとき初めて発生するということだそうです。

(3)メールを送信・・・
 この2つの辞典を参照する限り、「せる」&「いただく」の組み合わせは、許しを求めるニュアンスからは逃れられないようです。ですから「メールを送信させていただく」は、もし本当に送信を許してくださいの意味で使用したいのなら誤用とまでは言いませんが、過剰で重い表現であると理解しました。丁寧語での「送信いたします」でオッケーだと思います。
 逆に許可が必要な文脈なら適切な用法ということになります。その理解には個人差があるように思うのですが、あくまで私個人の感触としては、訪問、電話は許可が必要で「させていただく」ものです。手紙はメールと同じで送ること自体に許可を求められても困りますね。 FAXは文脈しだいかなあ。メールで済ませれば楽なのだけど、こちらの都合でFAXで送ることになります。ひと手間増えると思いますがお許しください。といった文脈なら適切であると思います。


5 ビジネス弁の話


 4で調べた知識を使って、世にあふれる「させていただく」を索敵殲滅していこうとは思いません。その戦いはただただ疲れます。私は最初に書いたように、どうすればストレスなくこの語句とつきあえるかを考えたいので、もう、あるものはしょうがないという姿勢を選びます。
 ここでビジネス弁という変な表現を持ち出したのは、そういえば関西弁にはよくある表現だなあと思ったからです。(Twitterでいただいたコメントもアイデアのもとになりました。大変ありがとうございました。)私は関西弁が話せないので、あくまでテレビで見る漫才とかのイメージだけですが、

・言わせてもらっていい?
・やめさせてもらうわ
・がんばらせていただきます!

 このあたりの表現は、自然に受け入れています。なんでもかんでも許可を求めないでくれ、といった反応も私には生じず、そういう言い回しなのねとしか思いません。
 話者がどの程度本気で許可を求めているのかはわかりません。ただ、許してくださいね&わかりましたという台本通りのやり取りを、先程私は「言わされている感があって嫌だ」と評しましたが、これが関西圏にて関西弁でやりとりされている様子を想像するに、それはいわゆる「お約束」という愛すべき文化の範疇なのだろうと理解できます。もうかりまっか&ぼちぼちでんな、させていただきます&かめへんで、的な。(エセ関西弁と偏見ばかりでごめんなさい。関西圏にお住まいの方、ぜひこのあたりについて思うところがあればコメントいただきたいです。)

 ビジネスの「させていただきます」と関西弁のそれ(と、関西弁の元になった標準語)とのどちらが先に生まれたのか調査研究するつもりはありませんが、たぶん関西弁じゃないでしょうか。わざわざ関西弁がビジネス用語を取り入れるとは思えませんし、逆に、テレビにあふれる関西弁に日常的に触れていたビジネスマンのみなさんが、誰からともなく使い始めて浸透していったということはありそうです。
 といった想像に基づき、標準語の文法では理解できないものの特定のコミュニティでは市民権を得ている言語であり、実在する方言をルーツにしているかもしれない点を踏まえて、私は「させていただきます」をビジネス弁と捉えることにしました。

6 関西弁とビジネス弁のちがい

 引き続き、イメージで書きます。例えば関西弁の商人(あきんど)のかたが「させていただきます」を用いるとき、そこには使役や許可のほかに、「おかげさまです」の精神を感じます。友人に聞いたところ、話す側としても、お客さんに対してその気持ちを込めて用いるとのことでした。辞書にはありませんが、感謝をこめるとき、「させていただきます」を用いることでそれが伝わる場面は実在するのだと思います。
 発注ありがとうございます。精一杯お仕事させていただきます!という意味なのだと捉えれば、私はなんだか気分がよくなります。感謝の気持ちが高じるとそんな言い回しになることもあるんだなって感じです。許可するとか過剰表現を聞き流すとかは全然気になりません。

 ちなみに、この話を教えてくれた友人は関西人ではないので、上述のそれは関西弁と区別して、また先述の②や③とも区別してとりあえず「あきんどことば」とでも呼ぶことにします。
 あきんどことばとビジネス弁との違いは明白で、そこに込められた精神にあります。精一杯メールを送信させていただきます!と言われても、何をするつもりなのかわかりません。感謝の気持を込めて行う動作じゃないのに、感謝を込めるときの語句を流用するから違和感なのです。あるいは元ネタにあった「お約束」の範疇を逸脱して用いるから不自然なのかもしれません。
 それとももはや、これはビジネス弁特有の「お約束」が生まれてるのでしょうか? 

 このビジネス弁を用いるとき、話者は果たしてどんな何を意味を込めているのかということや、「お約束」にはなんの目的があるのか、などついては、今回は考えるのをやめます。もう、随分記事が長くなってますし、またの機会にということでご容赦ください。

7 適切な言葉づかいとは

 言葉づかいの適切さは常に変わるもので、私にとっての適切さが、同僚にとってそれや、息子世代にとっての適切さと一致する保証はまったくありません。なので、私の考えが正しい!と拳を振りかざすことはしたくありません。その反面、すべての言葉づかいをオッケーとするほど心の広くない私なので、少なくとも無自覚なビジネス弁の浸透にはなんとかして抵抗したいです。
 といっても、自分の理解が客観的に妥当とは思えないしマナー講師に転職するとかSNSで活動を繰り広げるといった作戦も現実的ではないので、可能な範囲で抵抗するとすれば、ビジネス弁という変なカテゴリをわざわざこしらえてでも、標準語や他の方言(あきんどことば)とは一線を画す異物として取り扱うことと、それを使用されたときに無用な疲れを生まないように淡々と受け流すこと、それ以外の適切な用法に誤って目くじらをたてないことぐらいです。あとは、自分の家族とぐらいはこの意識は共有したいと思っています。その結果各自がどんな結論を出すかは、各自の自由になると思いますが。

 これは他の方言にも言えることですが、ビジネス弁を用いるのが認められる場面とは、自分も相手も抵抗なくその言葉づかいを受け入れてくれる場面、ということになると思います。憲法を関西弁では書きません。私の日常に照らすと、オタクがオタク用語を使って話しても大丈夫なときを判断する感じでしょう。ツンデレと言って伝わる相手かどうか、言う前に判断しますものね。
 私は、この言葉を、使役・許可の意味では使用し、感謝の気持ちで自然に使ったときにはそれを間違いだと思わないことにします。そのどちらでもないビジネス弁としてはこれからも避けたいですが、同時にこれを使用すべき場面の存在も探ってみます。ある意味、そんな出番が本当に存在するのであればぜひ出会ってみたいです。なんだか楽しみになってきました。

8   おわりです

 以上で終わります。今回は自分のイメージばっかり話しながら、ビジネス弁に込められた意味や、この言葉遣いを気にする人としない人の違いなどには迫ることはしませんでした。仕事で人と接するときに用いられる言葉なので、これに抵抗を感じるかどうかは、仕事観や人生観や、対人関係についての価値観が一因になっている気がします。また、ほかにも気になるビジネス弁もいくつかありますし(「とんでもございません」とか)、また記事にまとめるかどうかはさておき、言葉についてはこれからも機会を捉えて考えてみたいです。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。何か思うところがありましたら、気軽にコメントしていただけるととても嬉しいです。


参照したページ

・コトバンク「せる」 https://kotobank.jp/word/せる-549042

・コトバンク「いただく」https://kotobank.jp/word/頂く-432989

・文化庁「敬語おもしろ相談室」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/keigo/index.html



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