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【考察】嫌われるのに勇気は要らない?

本日二本目の投稿。

人気のある人は、必ずと言っていいほどアンチがいる。それは極端に言うと「好き」と背中合わせの感情だと感じる。対象に対してすごく強い「想い」を抱いているのではないか?

対象を「好き」と認識するか「嫌い」と認識するかは、その人の心の状態によって変わる。私も、大嫌いだった人をあるきっかけで大好きになったことがある。(不思議な体験だった)

もちろん深い理由のある「嫌い」とか「憎い」は執着のようなものなので、簡単に裏面を見せることはないかもしれない。 でも、できるだけ楽に生きることを目指すなら、執着は手放した方がストレスは少なく済むだろう。

タイトルの件だが、やっぱり私は嫌われるのに勇気は要らないように思う。なぜなら嫌うのは相手の心の状態に左右されるから。自分じゃない誰かの心はコントロールできない。つまり、勇気があるとかないとかは関係ないわけだ。 嫌われてもその理由は自分でなく嫌っている相手が握ってる場合が多いのではないかな。

逆に誰かを嫌っている場合、その感情を手放すことができるのは自分だけだ。嫌う理由が何かあるはずで、その原因を探っていくと案外嫌っている根本の理由は全く別のものだったりする。

それを知ると、「好きも嫌いも気まぐれな心の状態なんだな」と考えるに至った。まあ、それでも私も積極的に嫌われたいとは思わないので、やっぱり好かれている方が心地いいんだろうなとは思う。

(無関心が一番きついと思うのは私だけだろうか)

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