見出し画像

RAFTができるまで。vol.18


~hama編
まだ逸脱中。。。

たくさんの感謝を抱えてアメリカから帰国したものの、まだもうちょい遊びたい気持ち。。。笑

「🔍格安 語学留学」で調べたら、フィジーが引っかかった。

南国な感じと、イメージする発展途上国って感じの写真がいっぱい出てきた。

そりゃー、アメリカとかイギリスとかオシャレなとこに行きたかったけど、資金がなかった😭

3ヶ月と決めて。

たぶん、このタイミングでなければ発展途上国と呼ばれるとこに行く事はだろうなーとも。

英語も話せないし怖かったけど、「3ヶ月なら耐えられる!」と思って申し込んだ。

寮が併設された日本人が通う英語学校だったので、その敷地内は安全だった。外出しても18時までには必ず帰ってきてねと言われていた。

実際、お金とかカメラとかパソコンとか取られたって噂は毎日のように聞いていたし、街を歩いてたら殴られたらしいよとかって話も聞いていた。

プールのシャワーのようなサンダル履かないと入れないシャワールーム笑

お湯は出ない。なんならよく断水する。笑
シャワーの途中の断水は悲劇だった😱😱ペットボトルに4リットル位はいつも水をストックしていた。

洗濯は手洗い。
手絞りだからいつも干したTシャツから水が滴っていた。

半分はインド人のいる国でカレーが盛んだった。

1番美味しかったのはパン✨✨

元々イギリス領だったとかで、その文化のおかげもあってパンは美味しいんだよーって。紅茶とかもいっぱいあった。

マーケットに行ってひとカゴいくらで売られている野菜を買って茹でて食べていた。ひとカゴがいっぱい入ってるから食べ終わるまでその野菜ばっかり。

今もままごとみたいな家事だけど、当時はおうちの台所にはおかわり以外入ったことなかったから、フィジーでのごはんは、だいたい茹でた野菜と野菜スープとパンだった笑

死ぬほどスパイス屋さんとかあったし、本当はもっと楽しみ方があったはずなのに、今考えるととても残念である…。

あと、アイスコーヒーがとっても美味しかった✨✨アイスコーヒーを注文すると勝手にミルクと程よく甘さが足されたカフェラテが出てきた。
ブラックで飲みたい人は困っただろうなー。

生活はそんな感じ。

学生は20代前半の人達ばかり…。
そのうえ人見知りなので、あんまり友達は出来なかったけど、色々と気にかけて話しかけてくれるお姉さんがいた。

困ったら言ってーというスタイルではなく、困ったなと思った瞬間に声かけてくれる神さまみたいな人だった。

死ぬほど働いて身体を壊した経験があって、ヨガをはじめて心の安定を取り戻して、フィジーに来たとか。。。

安定を取り戻してフィジーとか…だいぶぶっとんでいる。笑

どちらかが沖縄とか東京とか京都とか静岡とかに行くタイミングでとりあえず会う。みたいなことをして、付き合いを続けて頂き、たまーにどちらかが思い立ったタイミングで1時間以上の鬼LINEで交信している。

オーラというのかスピリチュアルというのか、会うとすべてを悟られている気がするし、LINEの一言ですべてを察知されたような…。安心感の塊の包容力。。。

そんな素敵な出会いと、関西から東京に来る時は必ずお土産を持って来てくれるくまさんのような若者と、とりあえずFacebookで繋がってくれる人が少しできた。

そして、やっぱり、フィジーで出会っただけあってその人たちのFacebookの記事はワールドワイド感半端ない!!

ボランティア?!とかどこにいるの?!とかこれは食べ物なの?!とかいう写真がフィードに流れるとだいたいフィジーで出会った人。笑

そういう刺激的な情報をくれる人達。
直接連絡をとることなくても、元気を貰えたり、ケツを叩いてもらったりしている。

独立している人も多くて、ただ沖縄で働いていただけでは出会えなかっただろうなの人達がたくさんいる。
それだけでも行ったことに意味があったのかなーなんて。

あと、スカイダイビングをしそびれた!

最後の思い出にスカイダイビングをする予定をしてたんだけど、あと1週間だーという気の緩みからか腸炎になって飛べなかった。。。
それが唯一の心残り…。あの時、空を飛んでたら人生は変わっていたかもしれない🤦‍♀️笑

いつか、絶対空を飛びたいと思っている。

そんなこんなで、あっという間に3ヶ月が過ぎて、沖縄に帰る。

もういい加減、働かないとだなーって時に、アメリカのいとこが結婚式をするから暇ならおいでとの連絡。暇しかないなということでまたアメリカでひと遊び。

さすがにあさみがキレるなと思って、職探し…。

色々やってみたいなーと思うことはあった。

それこそ、またディズニーも考えたし、三越がマイアミのディズニーに日本人を派遣してるやつとか応募したいなーとか思ったり、バリのリゾバとかいいじゃんとか思ったりしたけど、語学が足りなさすぎたり…。
努力が欠落している人間だから諦めも早い笑

沖縄の就職。今の自分ならホテルに舞い戻るしかない。アラサーに選択肢はなかった。
あの頃が最高に楽しすぎたからそれに上塗りできるホテルは探せない気がしていたし、なんならもう飲食業もやりたくないと思っていた。

あれが、最高で最後の飲食店での話にしたい。そう思っていた。

今更事務とか出来ないし、営業とかもっと無理だし…とか嫌だと無理を繰り返し、思いついた答えが
「そうだ、東京へいこう!」
だった。

一度沖縄を離れてみるというのはどうだろうか。

鹿児島でも福岡でも京都でも。とか思ってたけど、他の地域に行ってやっぱり東京行ってみたいなという猶予はない。

30前の未資格未経験女に職業選択の自由の余地はなかった。

なら、日本のど真ん中ついてみるか💡

それで東京。
まぁ、実際には千葉だけど🤦‍♀️

今まで散々甘やかされてきた。自分を強くするためには女に揉まれるのはどうだろうか🤔と考えた。

女だけの職場を探し、2泊3日で10社くらい面接を受けた。そして沖縄に帰る日に記録的大雪が降って飛行機は飛ばず、無駄に延泊したけど雪過ぎてどこにもいけない笑。。。

これは、東京進出するなってことだな。と思った。笑

だけど、幸か不幸か3社から採用をもらえたので、とりあえず東京(千葉)に行くことにする。

すぐ帰れるようにお部屋はレオパレスにした。笑

案の定、女だけの職場は3ヶ月しかもたなかった…😢😢ただただ辛いだけだった笑

まだ帰らなくても大丈夫かなぁという気持ちだったので、せっかく東京だし、1回OLみたいなことしてみたいなって思って、未経験未資格で50社くらいの会社に応募した。もちろんだいたい書類で落ちた。何回か面接までいけてもコテンパンにやっつけられた。そう甘くない。。。

1つだけ引っかかったので、カレンダー通りのお休みでアフター6のある生活を手に入れた。

初めての「花金」。サービス業には無縁の土日休み。仕事では御局様に意地悪されるとかいう経験もしたりしながらも何となく上手く生きながらえた。

だけど10ヶ月を過ぎた頃、人(お客さん)に会いたい欲と「パソコンに向かう人」じゃなくて「人に向かう人」と働きたい欲が出てきてしまう。ないものねだりとはまさにこの事。🤦‍♀️🤦‍♀️

休みも勤務時間もきっちりしていて、生活に困らないお金は貰っていた。

その裏で「🔍東京 飲食 求人」を漁る毎日…。
田舎者がやっと、手に入れた「新橋OL」という肩書きを手放そうとしていた。。。

人に向かう人と働きたい。
東京で飲食店で働いたという経験もしておくか。

出来れば小さい個人経営のお店で、閉まる時間が23時とか決まってて、定休日とかあったらいいなぁ…。

そんなこんなで「もう絶対やらない」と決めていた飲食店の面接に行ってみることにした…。

次回に続く。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?