RAFTができるまで。スピンオフ①

18話まで来てしまったー。見てるよーとか次はまだー?とか面白いとか、相手のことよく知ってるなーとか色々言って貰えて嬉しく思っております。ありがとうございます🙇‍♀️🙇‍♂️🙇‍♀️🙇‍♂️🙇‍♀️🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️それがすべての活力💪💪

ですが。。。
そろそろ飽きてきたかなぁってところと、みんなの期待度が高くて予測をこえる人生ないなーと思ってスピンオフ。

そしたら、昨日スピンオフの依頼あったので、スピンオフ第2弾どこかでやります🤣🤣🤣🤣

スピンオフ
~hama編
~オトコ、オンナ、ぼぶ。

1年間、京都で過ごしたことがある。

大学3年のとき「国内留学」という制度を使って「そうだ。京都へいこう」の京都の大学に通っていた。

大学3年。もうコミュニティが出来上がっている中に飛び込む。なかなかハードルが高くて、大丈夫だろうか…ってばっかり考えていた。

週1のゼミ。20人くらいの学生。見るからにグループが出来上がっていた。

初日のゼミ終わりに国頭の出身だと声を掛けてくれる女の子がいた。
都会に染まりすぎていることなく程よく田舎感が残っていてとても安心したことを覚えている。

いつも気にかけてくれて、周りとを繋いでくれて週1のゼミがとても楽しみになった。

ゴールデンウィークを過ぎたあたりから、ゼミ内だけではあるけど、急激に友達ができ始めた。

国頭の女の子の魔術。。。
当時流行ってた森ガールな感じでCoccoが好きでみたいないつもニコニコした不思議な空気感に惹かれる女の子とその子の周りにいたいい人たち。

短期間の京都滞在、絶対楽しんだ方がいいでしょ!と、放課後ベランダに集まってどうでもいい話で笑ったり、駅前のミスドに週一で通ったり、夜になるのを待って花火をしたり、地域の花火大会に付き合ってくれたり、1限だけ受けて奈良に鹿を見に連れて行ってくれたり、夜中に原付きで天橋立を目指し、朝日を見て帰り、そのまま講義を受けたり…

1年の終わりには車で四国旅行を計画し、連れて行ってくれた。
橋を渡ったり、峠を登ったり、うどんを作ったり…。

大学生っぽい青春をたくさんさせてもらった。最高の人達だった。

人見知りが心を開いたふりをして、その場に近づく。

みんな個性派で負けじと個性を出してこうと思ったら「ボブ」と呼ばれ始める。

スポンジボブのボブ。笑

ボブ?!と思ったけど、内地の文化に飛び込んだものの、ちゃん付けで呼ばれるには心の準備が出来ていなかったから、ちょうどよかった🙆

ボブと呼ばれることにより(?!)雑に扱われることも多くてそれはそれでとても居心地が良かった。

そのゼミの中に路上パフォーマンスで得た投げ銭で日本一周をしてしまうようなぶっ飛んだ人がいた。

突然京都に来た行動力と、ゆるさ、てきとーさ、サバサバしてる感じ…

きっとぶっ飛んでると思われたんだと思うんだけど、そのおかげでいろいろと連れ回され、色んな人に出会わせてくれた。

所属している教会の同世代の人達で構成される青年会のような集まりに参加させて貰ったことで、そこでの友達も急激に増えた。そこで出会った人達は信じられないほどいい人たちばかりだった。

合宿が開催されてワークショップをしたり、中学生の集まりの運営を手伝わせてもらったり…。

一人暮らしの人のお家に集まって朝までゲームしたりダラダラ喋ったりとここでも大学生っぽいこともさせてもらった。

京都を離れたあとも半年に一度とかの頻度で足を運んだりして、関係は続く。
車2台、13人とかで富士急ハイランドに行くツアーするからおいでよと沖縄から呼んでくれたり。

自分発信ではできない様々な人付き合いの経験をさせてもらった。

そして、
ゼミにはほとんど来ない幽霊部員みたいな人がいた。噂では「変わってる」「面白い」「話してみた方がいい」とか謎多き男。。。

バイクの免許取ったら?としつこく言ってくる友達に免許が欲しいわけじゃなかったけど「もうもってるで。」と言うためだけにこっそり教習所に通うような変なやつだもいう説明を受けていた。笑

結果的に、路上パフォーマンスで日本一周しちゃったぶっ飛んだ友達と、「もう持ってるで」と言うためだけに免許を取った変わった友達と絡まり続け、そこから派生的にたくさんの人と繋がっている。

アクティブな彼と、お世辞にもアクティブとは言えない彼。

誘われればついて行くし、誘えばついてきてくれる。みたいな関係性の彼らは、大学5年生を迎えることになり、2人でルームシェアをしていた。

その1年はわたしも免許を取るために週一の学校以外は全部バイトだったので、お金貯まれば京都に行って無駄に絡んでいた。

周りの人に声掛けてワイワイすることもあれば、3人で原付とバイクで琵琶湖1周したり。

思い返せば社会人になってからも2年に1回は京都に行ってるかもなー。

刺激を貰えることがとても多い。

東京に来たばかりの頃は、2時間とか電話で話したり、永遠にLINEをしたりして、悩み相談なのか愚痴なのか…色んなことを話してみたり、これからやろうとしてることを聞いてケツを叩かれたり、そんなゆったり生きてもいいんだと思わされたり。

沖縄旅行に行くとなれば本人いなくてもあさみ(母)に直接連絡をとって会いに行く。

日本一周のパフォーマンス旅で沖縄に来たときの帰りに、あさみ(母)が船で食べたらいいさーとでっかいお弁当を持たせてあげていたらしく、要所要所でその話が出てくるんだけどわたしはまったく覚えていない笑

それが「沖縄人、いい人」というイメージアップに繋がったなら光栄だ🙌🙌

「もうもってるで。」の彼も沖縄行って無駄に嘉手納に泊まって実家に遊びに行き、喋りすぎたとあさみに後悔させていた笑

小学生の頃から友達が勝手にくるおうちで、部活終わって帰ると友達が食卓を占領して弟たちが地べたでごはん食べてる光景がよくあったおうちだけれども…

昔から知ってるわけでも地元な訳でもないのに、「沖縄旅行」という非日常を楽しむ時間にそういう時間を組み込んでくれるってだいぶ嬉しい。

そういうことをしてくれる感じからもいろんなことを考えさせてくれたりやさしい気持ちにさせてくれたりして。

パフォーマーの彼は海外でパフォーマンスをしたり、「夢」を語る講演をしたり、お祭りを開催したり…いつもFacebook見ていいなーって羨んでいる。

学校での講演会に呼ばれて喋るだけでなくパフォーマンスもして、子どもたちの心をつかみ記憶に残る。
会社に就職すれば、5個くらい下の新卒たちの中で、誰よりも早く出社してみんなのデスクを拭くことからはじめ、成績をあげ、信頼を勝ち取る。パフォーマンスできるんでしょ?と会社のCMにも起用される。

挙句の果てに、大学5年生になるような感じなのに母校に講師としてこないかと誘われるような人間。ほんとーにすごい。

「もってるで。」の彼は表には全く出さないけど、死ぬほど本を読んでて、ほんとーに色んなこと知ってて、たとえばその場でわからないってなったことは、忘れた頃、絶妙なタイミングで引き出しを開けてくる。今でも「もってるで。」のタイミングのために日々を過ごしている気がする。

いっつも、そんだけなんでも知ってたら、そんだけなんでも出来たらそれを活かして生きていけばいいのにと思うけど、その生活を敢えて選ばないで、ゆるーっと生きているようにみせている。
その信念、「自分自分」の欲深いわたしには絶対持てなくていいなーってよく思う。

精度の良いボブ仕様の検索エンジンのように、自分が欲しい答えをピンポイントで更にその次につまづくだろうなの答えも導いてくる。

ほんとーになんでも知っていて、とりあえず困ると連絡して、料理を教えてもらったり、なんかが壊れたらやり方教えてもらったり笑

あんまり笑わない人だけど、思いやりはとてもすごい人。

そんなふたりとの出会いと「それから」をスピンオフ。これからもものがたりが続けばいいなと思う2人。

ご察しの通り、メンズ2人なので、恋仲を疑っている人もいると思うのでいちいち言わせていただくと。。。

もちろん、2人の彼女さんにはいい顔されてなかった。と思う。笑

「なんか、ボブは特別扱いだよね」と言われるといっつも愚痴られていた。
だけど、彼女さんたちとも仲良く出来ていた🙆‍♀️(と思っている笑)

「オトコ、オンナ、ボブ。やねん。ボブはボブという性別やねん。」
といつも言っていた。

残念ながら、当のボブも今も昔も変わらずに「イケメン専門」で切り抜けているので、当時は、お互いに本物の友達以上恋人未満で絶妙なポジションを取り続けていた。

それぞれが結婚したりパートナーがいたりで昔のような気楽感だけでなくお互いに要らぬ気遣いという要素が入っているけど。笑

でもまぁ、会えばきっとあの頃と同じようにアホなことで笑い、無駄に真面目に語り合い、検索を掛けまくることは間違いない。

この「俺ん家の話」を書きながら、あの二人の話は確実に面白いよなーと考えたりする。

世界規模、全国規模の彼と京都拠点の彼の楽しすぎる抑揚を持った人生と平坦の中にピンポイントでバズり続ける人生。そして一致点。

自伝を出す時はぜひ書かせてもらいたい。笑

京都に行ったことで開けた自分がある。行動力や協調性や社交性は確実にここで学んだ。

ここがなければもっともっとじゃがいもを極めていただろうなーと思う。

それまでもそうだったんだけど、人に出会い、人に育てられる生き方はこの辺りから踏みしめて生きるようになった。

気分転換のスピンオフ。
おわり。

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