FLOWの公式PVが出て、ひたすら書きたくなった男の考察(妄想)
※このnoteはFF14 暁月のフィナーレ 6.0のネタバレを含みます
皆様はこちらのPVは見られましたでしょうか?????暁月完走したなら見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た?
僕は感情を破壊されたのでそれについていろいろ書いていきたいと思います。
※注意!
・感情に任せた書き殴りなので読みにくいです。こんなもの推敲してたら途中で全部消してしまう……。
・雰囲気でしかメインストーリーを追ってないので解釈に間違いがあったりふわっとしてるところがあると思います、1プレイヤーがなんか喚いてるぐらいで流してください。
・完全に自己満足の文章です。
FLOWの主題について
この曲、PVを見る前と見た後で私は明確にFLOWの主観者が変わりました。
ずっとヴェーネス(ハイデリン視点)の曲だと思ってたんですけども、星海全体からヒカセンを迎え入れ、拒絶する曲なんじゃないかなあって気持ちになりました。
Flow
意味・対訳
(絶え間なく)流れる、流れ出る、わき出る、流れるように動く、流れるように通る、すらすらと流れ出る、流れるように垂れる、風になびく、巡る、通う 豊かにあふれるように(なめらかに)流れる
終着点、星海の在り方
やっと会えた、勇敢で小さな命
星のように燃えて輝き、長い旅を終えてきたのね
私はこの瞬間までじっと、あなたを待っていた
全ての道のりの果てで
エーテルが絶え間なく流れ、湧き出る星海で、ゼノスとの死闘を終え、星海に帰ろうとしたヒカセン(勇敢で小さな命)をずっと待っていた(すべての道のりの果て=)星海におけるデュミナスからの歌詞じゃん……。
PVだとマザークリスタルを介して走馬灯を見始める(無数の物語への回想)にはいるんですよね…。
さあ、もう一度共に謳って、あなたの歩みを聞かせて
思い出しきれないほどの言葉に出来ない寂しさや愛を
無数の物語が満ちあふれて
やがて海を輝かせるまで
で走馬灯に入るの
これまでヒカセンが与えてきた、与えられてきた感情すべてがデュミナスとなって、星海を輝かせるってことなんだろうな……。そもそもここで共に謳う理由、星海を輝かせなきゃいけない理由ってのが、魂がエーテルとして返還され、漂う、古代と同じかそれ以上にエーテル濃度の濃い場所でデュミナスの力でヒカセンを星海そのものの意志で死から救おうとしてるってこと(逆にエーテルでは絶対に救えない)だし、何物でもなかったもの、いろんな意味でヒカセンと共に歩んだ者達の総意としてヒカセンを甦らせ、この旅の終わりを、新たな明日への一歩とする為なのかなって考えるだけで目頭がヤバイ。
ヒトの在り方と、目指す景色
忘れないで、その雨はあちこちに歓びをもたらした
一滴一滴が天の恵んだ命
時を経て、一つの流れに注ぎ
河となり湖となった
「その雨」は星海にあるエーテルが循環し、地上に与えた生命が無数に降り注ぐ様子だと考えると、望まれて生まれた「歓び」、その子の一生に満ちる「歓び」、その子と人々との出会いに生まれる「歓び」。
それらすべてが天の恵んだ命が存在する意味である。というのが『FLOW』の示す『Answer』への答えなんじゃないかなって勝手に妄想してます。
なぜこの苦しみが契られたのか、なぜ命を与えられながら死にゆくのか、命満ちたとき既に死に裁かれた子らが『救われないのに生きていく』理由、それは世に満ちる『歓び』を聞いて、感じて、考えて、教えて、話して、伝えて、望んで、願って、悩んで、彷徨って、微睡んで、静かに眠るため。
閑話
PVだとここで、クルル(ヴェーネス)にアーカーシャに反応する花(エルピスの花)を手渡されるシーン、護符を作り出したニッダーナ、暁メンバー(アルフィノ、アリゼー、グ・ラハ、クルル)との歓談が挟まるんですけども、これらすべて時を経て、一つの流れ(ヒカセンの介在)に注いだ結果、デュミナスを見つけ出すきっかけや護符の完成、水晶公という役割から暁のグ・ラハとなったといったような河や湖という結果になった。
河と川の違いとして挙げられるのが、川は地の間を縫って流れる溝であるのに対し、河の原文字は黄河の直角に曲がる流路を表した漢字で、曲がりくねったや凸凹したといった意味が含まれている。また日本では特に大きな川を指す場合に河の字を使うといったことも考えると、これまで辿ってきたヒカセンの道のりは凸凹で曲がりくねっていて、それでいても大きなうねりを生み出し、注いだ結果が湖となった。
また、Close in the Distanceでは「言葉無き鎮魂歌を涙の河に捧げに行こう、押し流され曲がりくねって久遠の海を目指す 苦しくとも希望が尽きたりしない」そんな歌詞もあり、この河という表現はストーリーライン全体における人の数、魂の数だったりするのかなとも。
地平線と、さらなる彼方を目指し続けるの
刹那に過ぎ行く風景を映し、陽の色に染まりながら
風に見舞われても、淀むことなく
優しい海に迎えられるまで
完全なAnswerとの対比ですね……。
果てた。
Answerの対比部分だと
『嵐を進み、答えを探す』
『想いを背負い、嵐を進む』
『世界から瞬く間に命が流れ去り
澱むことなく、まだ見ぬ方へと進んでいく』
この対比で淀むと澱むの同音異義訳が当てられているのが分かると思います。
Answerでの『澱む』は底に何かが溜まるようなイメージ、FLOWでの『淀む』は流れが滞るイメージという違いがあります。
この違いが出るのは、Answerでは命の在り方が「あらゆる苦しみから救われることがないのに生きて、ただ死んでいく。」という後ろ向きな心情、命を持って生まれる事への疑念で歌われた、昏い歌詞であることから、そういった命の終え方をした魂がよどむのは『澱む』、FLOWでの命の在り方は「天の恵んだ命が歓びを感じ、与える」という命を持って生まれる事へプラスとして、そうした終え方をした魂のよどみ方は還ることを拒む『淀む』なんじゃないかなと妄想しました。
また、『風に見舞われても』とあるように「答えを探し」、「想いを背負う」生き方をした魂は特に淀みたがるんじゃないかなって思いました。
間違いなく優しい海は終わりであり、始まりでもある星海でしょう。
PVでは「優しい海に迎えられるまで」の歌詞で星海(?)へと沈んでいく泡の表現が入っていきます。
死と母なる海
穏やかさに包まれて、深く深く沈んでいく
慈しむような潮流が、あなたを底へと運んでいく
水面に昇る魂とすれ違い
鼓動の止まった心いっぱいに、その幸せを願う
ここでエルピス回想………………………。
アゼムの魂を持つヒカセン、星の意志に祝福され、さらにそれを超越したヒカセンだから、縒り上げてきた存在や関係性、そして何より多くの魂と寄り添い、魂ごと一体となったり、一癖も二癖もある仲間や敵と歩んできたヒカセンだからこそ慈しむような潮流に沈められながら「鼓動の止まった心いっぱいに幸せを願う」。
うぅ……。
星海とその意志、そして新たな旅の始まり
深く冥き水底で、私はあなたの声を聞く、その選択を受け止める
今、繋いだ手に探していた答えがあるわ
その涙を拭い、震えているなら歓びを謳いましょう
すべてが希望へと新生する岸辺に、いつの日か辿りつくまで
PVではメーティオンの手を取り、希望が新生する、希望をもたらす青い鳥として飛び立つメーティオン。
終着点たる星海の深く、冥い水底に辿り着いたヒカセン。
間違いなく星海の底、エーテルの循環する終わりで始まりの海。
けれども、繋いでいる手がありました。
アルフィノが、アリゼーが、暁のみんなが。
どうにか繋ぎとめようと手を施し、手を支え、手を尽くし、手を取って、手を緩めることなく、強く祈っていました。
これはただの妄想ですが、絶対に手を繋いでいたのはアリゼーとアルフィノだと思います。
「その涙を拭い、震えているなら歓びを謳いましょう」
涙を流しているのはアリゼー、震えているのはアルフィノ。
その二人に送り出され、その二人の下に帰りなさいということだと思っています。
また、終焉を謳う者へのアンチテーゼ、歓びを謳う者たる存在であるヒカセンという定義でもあるのかもしれないです。
なのでこの視点はこの後に出てくる新規一枚絵、そうヴェーネス、そして星海にいるみんなの視点なんじゃないかなと思ったところで目頭が10000℃を超えました。
さあ愛しい子、その目を閉じて、静かな眠りのうちで待って
遠い水面からさす光は、夢の底まで届き渡るわ
目覚めの時には、もう一度、風があなたを舞い上げるでしょう
この旅の終わりは、明日への一歩なのだから――
そうなんですよね……この歌詞、後半は全部ヴェ―ネスの視点なんですよね……。(妄想)
沈んでいく、運んでいく、願うという星海とヒカセンの主観から、水底に辿り着いたときから、「あるわ」「謳いましょう」「届き渡るわ」「舞い上げるでしょう」「なのだから」全部井上喜久子さんボイスで再生されますよね…………。
遠い水面(現世)からさす光(願い)と冥き水底(星海)からの祈りが夢の底へヒカセンの魂を繋ぎとめたんです……。
灯篭の一種である走馬灯は、二重枠の影絵であり、蠟燭による熱によって上昇気流を発生し、サーキュレーターの羽のようになった内枠が回転する仕組みでできています。
これはあくまで妄想ですが、実際に「穏やかさに包まれ~」の部分まで走馬灯であったとするならば、下(星海)からの願いという熱源(デュミナス)が上昇気流を起こし、ヒカセンを押し上げる力となった(?)とすれば押し戻されるのは夢の底。
仕組みとして走馬灯は解明されてないですが、夢の延長線上にあるものだと解釈されてたら面白いなって思ってます。
だからあとは、遠い水面からさす光に優しく受け止めてもらうだけ。
目覚めの時には、
風に乗り、天高く舞い上がる。
約束はいつまでも消えず、確かに残り続けるだろう。
そして、この旅は終わり。
ゾディアーク・ハイデリンの均衡は崩れ、旧き人の遺物に囚われた世界は終わり、新しき人が歓びを、時には悲しみを受け入れながらそれでも前に進む。
そして、明日を迎える一歩を踏み出していく。
果敢な心が燃え上がる(世界が崩れ落ちるときにも)
もうぐずぐずしている暇はない(お前のそばにいる)
遅すぎるなんてことはない(私たちは過ぎ去ったけれど)
ただ前へ進め(君は決して、独りじゃない)
再び乗り出そう(あなたが星を見上げたとき)
別の終わりへ(きっとそばにいる)
新たな始まりでもあるその場所へ(この唄が導くから)
ひたすらに進め(前へと、進んで――)
Endwalker-Footfalls
最後に
星海の底へ沈んだヒカセンに、彼らはなんて声をかけたんでしょうか。
ヴェーネスは本当に星海に還ることが出来たんでしょうか。
彼らは星海の底で何を聞き、何を感じ、何を考えたんでしょうか。
FLOWの歌詞を見てきた中で、星海が持つ温もりを感じたり、終わりであり始まりである、母性を感じる存在でもあるように感じたりします。
生物とは初めから終わりが規定されている、生まれながらにして死を追いかけて生きている。にも拘らず、生にしがみつき、みっともなく足掻き苦しみ、悲しみに打ちひしがれたり、絶望に暮れながらも、それでも歩むことを止めないのは不思議なものです。
今生きている私も何度か死にたいと思うことはあれど、それでも高所で命の危険を感じて震えたり、痛い・苦しい思いをしながら手術を受けたりします。
それほどに生にしがみつく理由が、「歓び」を聞いて、感じて、考えるためなら、ヒトを生み出す原動力である「歓び」こそ可能性という、ヒトをヒトたらしめているものなのかもしれません。
引用・参考文献
ENDWALKER-FINAL FANTASY XIV ORIGINAL SOUND TRACK
FINAL FANTASY XIV 暁月のフィナーレ
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