見出し画像

「習慣」と「惰性」と

 私が普段使っている腕時計は自動巻き。お気に入りの腕時計はもう一つあるのだけれど、腕にはめておかないと止まってしまうので、つい同じ物を使い続けている。
 父にもらったこの時計は、最初はちょっと重く感じていたけれど、なんとなく毎日付けているうちに、しっくりくるようになっていた。今では外出時に着用していないと「しまった!」と大切なものを失った気になる。

 年末年始の休暇は、あまり外出はせず、引きこもり生活を満喫していた。出かけないので腕時計はつけない。とはいえ止まってしまうのが、なんとなく怖く、家の中でも腕につけるときもあった。

○止まっていることで気がつかされる

 仕事始めの1月4日、いつものように腕時計をつけ、出勤。戻ってきた日常を楽しんでいたが、夕方にふと時間の確認で左腕をみると、その表示する時刻は大幅にずれていた。しかも日にちの表示は「3」 私は止まっていたのも知らないまま、半日以上も過ごしていた。
 私はこの事実に軽くショックを受けた。腕時計をつけるのは、私にとって何なのだろう。この出来事は、腕時計をつけるということは、時間に気を払う「習慣」ではなく、「惰性」であるという証明に図らずともなってしまった。そして、着けることで、「管理ができている」「気を払えている」と満足している自分を見つけてしまった。単なる「自己満足」で充足感を味わっていたのだと。
 振り返れば、そんなことの繰り返しをしていたのかもしれない。「習慣」になってしまうと改めて見直す機会を失ってしまう。とはいえ、自己満足という肯定がなければ、ワークショップを企画したり講義を組み立てたりすることができなかったとも感じる。と、すると、たとえ「惰性」になってしまっていても、それが安心感をもたらすものであればいいのではないかな、ともじんわり感じてきた。

○時刻合わせは同期取り

 今日は5日。昨日は時計の時刻を合わせなかった。朝、出勤して腕の上の時刻を見たら、あと5分ほどで12時になるころだった。日にちの表示は「4」だった。なんとなく、験が担げるような気がして12時になるまで時刻を合わせるのを待ってみた。そして。日にち表示が「5」に変わってから改めて時刻を合わせた。年末年始の休暇で自分の中の時間もずれていたのかもしれないな、なんて感じつつ。

 2022年も色々なことが起きるんだろうな。とはいえ、色々起こす側にもなっていきたい。
いままでやってきたことが波に乗り、「惰性」にならないように。とはいえ、安心な「習慣」にもなれるように。丁寧に見返すことを忘れないようにしていきたいなと心に刻んだ。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?