見出し画像

静かな孤独

実は結構前から存在していたnoteのアカウントを掘り起こしました。

最近、なにかと文章を書く機会があって、それは仕事の業務連絡だったり、ゲームのシナリオだったり、恩師への相談メールだったりするのですが、場数を踏んだおかげか、このところ書くことが少し楽しくなってきたように感じて、そういうこともあって、noteを動かし始めました。

別にたくさんの人に読んでほしくて書くわけじゃないので、個人サイトにひっそり載せることも考えたのですが、色々検討した結果、「書き心地」が大事だと判断し、noteにしました。真っ白い背景に明朝体の文字が綴られていくさまは見ていて心地がよいです。最近はWordPressなんかもこういうオシャレなエディタを採用しているようですが、WordPressの場合、記事の公開設定やカテゴリ、タグ、SEO対策など、文章を書く以外のことに色々と気を奪われてしまうので、やはり書くことに集中できるのは大きいです。

うーん、と思うところもあります。noteのトップページにはいろんなオススメ記事が出てきます。見たい記事があれば自分で探しに行くから、そういうのは無いほうが嬉しい派です。Twitterのトレンドとかもついつい見ちゃいますけど、なんか見ているだけで疲れちゃいます。世界とつながることは、それなりに労力のかかることだと思います。

あと驚いたのが、トップでオススメに出てきたとある記事。

イラスト上達のためのPDCAサイクル

こんな感じのタイトル。びっくりしました。

てっきり、noteはもっとこう、ポエムや日記みたいに、出来事や気持ちをつらつらと綴る場所、という印象がありました。だから、ストイックな文言に少し、おののきました。イラスト上達のために努力することは素敵なことだと思うし、かくいう私もさいとうなおき先生のYouTubeでイラストを学んでいる立場です。でも、そういうストイックさが、ポエミーな気持ちの前に急に現れると、ちょっとビビります。

そういう意味では、noteは「静かに読める場所」ではないけれど、「静かに書ける場所」ではあるのだと。静かに書けることはとても嬉しいことです。なにもない空間に、ぽつん、ぽつんと文字を置いていく感覚。

尊敬しているイラストレーターの一人に吉田誠治先生がいます。吉田先生は背景グラフィッカの傍ら、YouTubeで添削配信をされています。

吉田先生はよく「絵を描くというのは、そこに色を置いていくこと」と仰っています。真っ白なキャンバスに、ぽつん、ぽつんと色を置いていく。

今、友人と二人で恋愛ゲームを作っています。シナリオを二人で手分けして書いて、イラストは私の担当です。文字も書くし、絵も描きます。

「書く」と「描く」。できあがるものは違えど、その行為はとても似ています。なにもないところに、ぽつん、ぽつんと、文字を、色を、置いていく。果てしなく、孤独な作業です。でも、そういう孤独が、静けさが好きです。

noteのオススメ記事。Twitterのトレンド。他人と、世界とつながるのは楽しいです。でも、誰ともつながらない、静かな孤独もまた私にとっては大事です。

渾身のおもしろツイートをしたのに「いいね」がつかなかったときの寂しさは「静かな孤独」ではないです。あれは「うるさい孤独」です。孤独なはずなのに、やたらと騒音が聞こえてくる。心がざわざわする。心の中ではフッと笑ったけど、いいねボタンを押すのがめんどくさかっただけかもしれない。不快だからミュートされたかもしれない。実は、とっくの昔にミュートされているかもしれない。

そう思うと、静かな孤独って、なんかいいですよね。そこに他人はいません。そしてたぶん、そのうち「私」もいなくなると思います。吉田誠治先生は添削が終わったあとに20分くらいでササッとすごい絵を描き上げるのですが、曰く「手が勝手に描いている」とのこと。あの絵は吉田先生が描いているのではなく、吉田先生の手が勝手に描いているのだそうです。寄生獣のミギーみたいですね。

孤独が好き、と胸を張って言えることを誇りに思います。同時に、孤独の本当の静けさをたぶんまだ知らない。それはきっと、歩道橋から夜空を眺めるときのような、寝室の天井を見つめるときのような、ぬるいアクエリを飲んでいるときのような、そんな感じなんだろうと思います。


最後に、全然関係ないですが、サムネイラストは制作中のゲーム「さくらいろプリズム」のオープニングムービーの一部です。主人公の光(ひかる)と、幼なじみの葵(あおい)の幼い頃です。女の子を泣かせるなんて、光、ひどいやつですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?