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いらない言葉を、削ぎ落としたいと思います。

ラジオを聴いている。軽快な J-POP のイントロが流れ出す。
DJ が、これまた軽快なトークでイントロに乗せて喋り出す。

「それではここで、1曲お送りしたいと思います! Official髭男dism で『Stand By You」

スタジオで喋っている本人も、副調整室で聴いているスタッフも、ラジオで番組を聴いているリスナーも、その 99.9% の人は疑問に思わないだろう。
だけど、僕はいつも、この言い回しが気になってしょうがない。

すでにイントロは流れているのだ。つまり、すでに1曲、お送りし始めているわけである。それなのに「1曲お送りしたいと思います」という【所信表明】は何なのあろう?

テレビを観ていても、タレントやレポーターが、ドアの取っ手に手をかけて「それではこれから、お店に入ってみたいと思います」と言い、お店ではスプーンを片手に「それではいよいよ、食べてみたいと思います」と言う。

みんな、アホなのだろうか?

お店に入る時は「お邪魔します」といえばいいし、食事をいただくのなら「いただきます」と言えばいいのではないか? なぜ、今、必ずやるとわかっていることについて「思います」という言葉を使いたがるのだろう。

冒頭のラジオの話も一緒で、「ここで1曲お送りします」で良いではないか。必ずかける(もしくは既にかかっている)のだ。「思う」必要なんてない。

「思います」というのは「これからそういう気持ちで臨んでいきたい」という気持ちを表魅するものである。「今日も最後まで頑張っていきたいと思います」というのが普通の使い方である。

政治家や社長、タレント謝罪会見で「お詫びしたいと思います」という言葉をよく耳にするが、「お詫びします」「申し訳ありませんでした」「ごめんなさい」というちゃんとした謝罪の言葉があるのに「お詫びしたいと思ってるんですよ。実際にお詫びするかどうかはともかく」と言われているような気がしてならないのは僕だけだろうか?

あの久米宏さんは、「ニュースステーション」で喋る時に、無駄な接続詞を極限まで削ぎ落としてきたという。「さて」「ところで」「続いては」「ぜひ、ご覧になってみてはいかがでしょうか」といったテレビでの慣用句に、常に「その言葉は本当に必要か?」と問い続けていた。

「言葉を編む」という言い方がある。材料を集めて、組み合わせて、無駄なものを削ぎ落として美しい表現を追求する。少なくとも「言葉」を生業としている人は、その美学を忘れないで欲しい。

頭を使わずに書いた文章、喋った文章は、使い古された慣用句にまみれ、そこに「選ばれた言葉」は殆ど存在しなくなる。そんな文章は、第三者につたわるわけがない。

「それではここで、1曲お送りしたいと思います」
(それではここで いっきょくおおくりしたいとおもいます)
「今日の夕空にピッタリな、この曲を届けます」
(きょうのゆうぞらにぴったりな、このきょくをとどけます)

同じ文字数で、どちらのほうがその音楽が素敵に聞こえるか、それは言うまでもないはず。
いらない言葉を削ぎ落としたら、そこに「今のあなただから表現できる、伝えたい気持ち」を言葉にして入れることができる。

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