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読書は量より質、外国の本を勧める理由

「時の洗礼を受けていない本は読むな」
村上春樹のノルウェイの森にそんなセリフが出てくる。
一口に読書家といっても、年間何冊読むかよりも選ぶ本の質の方が遥かに重要である。本棚を見れば人となりがわかる、とも言う。

私は専ら日本語訳された外国の本ばかりを読んでいる。
理由は単純で、それらは本国においてある一定以上の評価を得ている質の高い本なので、日本の出版社の方でもこれは売れそうだから翻訳を出してみようか、という具合になるのだ。逆を言えば、日本語を元に出版されている本のほとんどは国外に出ることはほとんどない。なので私が日本発の本を読むのは、そのトピックが日本限定である場合のみである。

世の中でグローバル化という言葉が叫ばれて久しい。ある意味ではインターネットが世界の国境を破壊した。そうした文化の画一化が我々の望む望まないとは関係なく進んでいる。一方で、日本の読書文化は未だ世界に対して分厚い壁を持っていて、情報の質の面で大きな後れを取っている。

世の中に出ている膨大な本や情報の量に対して、私たちの人生は悲しいほど短い。1年に100冊を読むことができたとして、50年でたったの5000冊しか読むことができない。近所の図書館の蔵書量にも及ばないだろう。人生で読むことのできる本の数はどうしても限られる。
あなたが読書を人生の中でどのような位置づけとしているかにもよるが、読書から学びを得たいと考えている人は読書の質という問題には常に立ち向かわなければならないのである。


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