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”懐かしい”に、帰りたい。

”懐かしさ”は人間にとってすごく重要な感情で、
間違いなく古いものを見たときに起こる心の動きだ。

喜怒哀楽という感情は動物にもある。
食糧を横取りされてニコニコしているような動物は生き残っていけないからだ。
けれども、イヌが昔暮らした古い犬小屋を見てしみじみすることはない。

また、小さな子どもが、夕日を見て感慨に耽っていると、ちょっと心配になる。

つまり、”懐かしい”という感情は、人間だから持っているもので、しかも、小さな子どもにはなく、ある程度、大人になってから感じるものだ。

古いものを見たとき、なぜそういう感情が湧くのか。

たとえば、私は自分の卒業した小学校の校舎を久しぶりに見ると、すごく"懐かしい"と感じるが、そのときに心のなかで起こっていることは何かというと、「いまの自分が昔の自分と同じであること」を認識している。

寝る前と起きたときで、意識が途絶えているのに、なぜ自分が自分であると認識できるのか。
自分はきのうと同じ自分だと思っているけれども、本当にそうなのか。

人間は毎日、無意識に、寝る前と起きたときの目に映るもので「変わっていない」ことを確認して、ときどき古いもの、まわりの変わらないものを見ることで「自分が自分である」という確認作業をしているのではないか。

自分というものの時間的な連続性を、視界に入る景色、つまり建物や風景で無意識に確認しているのではないかと、私は思う。

一番変わりにくい、安定しているものは自然だ。
現に「国破れて山河あり」からはじまるあの詩歌は、たとえ国家が崩壊して社会が激変しても、故郷の山や川が変わらずにあれば人間は生きていけると言っている。
※諸説あると思うが、私にはそう聞こえる。

私は最近、空とか海を無性に見たくなる。
そして、見たらとても安心して落ち着くし、なんか目の奥で涙の源流が湧き出して、堪えるために目を細めることが多い。

自然の次に変わらないのは町並みで、その次が建物だ。

建物というのは、人の暮らしを雨風や外敵から守るための実用の器だと考えられているが、それ以上に、「人の記憶の器」なんだと私は思う。

やっと分かった。
私は旅行などで、特定のいわゆる”田舎”のスポットに行き、風景や景色にふれても、癒やされるのはだいたい2時間くらいが限度で、それを超えると、「次のスポットに行きたい。」か「はやく帰りたい。」と思ってくる。そして、いわゆる”都会”の駅や街で人混みの雑踏に戻ってくると、途轍もなくホッとする。

それは、東京の新宿で生まれ、社会人2年目まで新宿のとなりの街で育ち、それ以降は世田谷にしか住んだことがない私にとって、”田舎”の風景や景色は、純粋な『癒やし』ではなく、単純な『非日常の刺激』だから鮮度として2時間という賞味期限が効いてしまい、「記憶の器」としては、小さい頃からずっと住んでいる”都会”の町並み、人混みの雑踏、建物がそれなんだ。

こう整理できると、『田舎のネズミと町のネズミ』のあの童話も、非常に腹落ちする。

そして、そこで”育った”場所は、アイデンティティの拠り所になっているんだと思う。
(総じて居場所。効力の強さとしては建物>町>環境要素だと思う。)

過去の歴史やルーツに自分がつながっていると感じることで、人間はアイデンティティを確認する作業をしていて、その手がかりになるのが場所だし(効力としても建物が一番になりやすい)、今そこに”暮らしている=育っている”場所(多くの場合は住んでいる建物)は、そこを拠り所としてアイデンティティをはぐくんでいるんだ。

そして、アイデンティティ、つまり「自分が自分である」ということを確認できている、はぐくめているから人間は生きていられるのではないかと思う。

だから、私が何かにふれて”懐かしい”と、『ポジティブ』に感じるのは、そこに、自分のいる世界の連続性を感じてホッとするからなんだと思う。

”懐かしさ”は、人間の心の安定のためには不可欠なもの。
私の心の安定のためにも不可欠なもの。

改めて思う。
最近、自分がふれて良かったもの、近いうちにふれたいと欲しているものの多くに共通するのは、”懐かしさ”だ。

今の私は、本能的に”懐かしさ”に帰ろうとしてるんだ。

「”懐かしい”に、帰りたい。」
最近特に、毎日いろんな闘いをしている私のいまの心が、純粋に欲していることなんだ。

しばらく、自分のお守りとして”懐かしさ”を集めて、ポケットに入れていこうと思う。

”懐かしさ”を求める自分を、過去に縋っているのではなく、未来に進もうとしていると捉えようと思う。

毎日過ごす日々の中で、”懐かしさ”を紡ぎ、明日からの私へ、エールのバトンとして渡していきたいと思う。

いつでもふらっと帰れる、『”懐かしい”記憶の器』は、きっと一つだけじゃないと思うし、

その器の数が、その器の深さが、
きっと豊かさにつながっていくんだと、今日の私は思っている。


p.s. このnoteを読み返した未来の私へ
「そう言えば昔、こんなこと考えてたな。懐かしいな。」
と思ってくれたら、うれしいです。

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