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映画『ブラック・フォン』のこと

 見た目もストーリーもぜんぜんちがうのに『ドライブ・マイ・カー』や『春原さんのうた』と似ていた。中心にあるのは遺された者の心のうごき。

 主人公の気弱な少年フィニーは連続誘拐犯によって暗い地下室に閉じ込められてしまう。断線しているはずの壁掛けの黒電話が鳴り、出ると相手は誘拐犯に殺された被害者(の幽霊)だ。幽霊は何人もいて、代わる代わる電話をかけてくる。うちひとりはフィニーをいじめから救ってくれた親友だった。なんてことだ。あんなに強かったのに殺されてしまったなんて。

 で、その親友が犯人をぶちのめす武器を教えてくれるところと、じっさいぶちのめすための訓練をするところに、うおおおおお、となった。武器はいままで通話に使っていた黒電話の受話器だ。うおおおおおおお。いやおうなく盛り上がる。

 うおおおおおとか言わずに落ち着いて書けば、ここには「ひとつのパーツを別々のふたつの使いみちで使う」というテクニックがあると思う。受話器はむろん物語の軸となる「対話」を可能にするパーツであり、それと同時に、犯人をぶんなぐるパーツにもなった。

 うおおおおおお。

 ひとつのパーツをふたつの意味で使う。この「パーツ」とは小道具に限らず、たとえば、ひとつのシーンにふたつ以上の意味がこめられる、みたいなこともよくありますよね。そのやり口のエレガントさを競うのが映画という「競技」の一部だったり。

 たとえば『ロボコップ』だ。マーフィーがルイスの手を借りてベビーフードの缶を撃つシーン。あそこにはいくつの「意味」が込められているだろう。

 ざっと箇条書きにすると

1.敵を倒すための訓練
2.自分という存在とその役割を受け入れる覚悟
3.ルイスとの絆の強化
4.家族=過去との精神的決別

 まず、ストーリー上は1の意味を描くシーンとしてある。そこにうっすら2~4が付随し、また、2~4はシーンのあいだじゅう互いに結びつき意味を強め合い続ける。いつまでも味のするシーンだ。史上もっともベビーフードの使い方がうまい映画ナンバーワン。たぶんそうでしょう。

 話はずれるが、こんなふうに、映画にまつわることを考えているといつのまにか『ロボコップ』について考えていることに気づいて怖い。シンプルで力強い物語であるがゆえ、そこにある工夫や意味や構造が読み取りやすく、そのため語りやすくもあるので、しぜんと連想的に挙げられやすくもなるんだろう。これなあ。要するに「おもしろい映画」と「おもしろさがわかりやすい映画」は、当然重なり合うことが多いけど、厳密にはちがう評価軸だよね、という話ではある。

 よ~し、ならばいっそ、これから先、映画のことを考えたり、人に話したり、文字にしたりするときは、もっと意識的に『ロボコップ』の話に持っていこうと思う。そのほうがむちゃくちゃでおもしろいから。国も時代も関係なく、たとえば小津安二郎と『ロボコップ』を並列で語るし、最新の映画と『ロボコップ』を混同したりする。アニメも実写もなにもかも、いつのまにか『ロボコップ』とつなげて考える。脚本撮影編集演技音楽、あらゆる角度からついつい『ロボコップ』との類似点を見つけしてしまう人になる。おい、あいつまた『ロボコップ』の話をしているぞ、そう言われて後ろ指を指される人である。というか、この文がすでにもう、そうなっている。いつのまにか『ロボコップ』である。恐ろしい。もしかすると映画とは『ロボコップ』のことなのか。

 いや、人生が『ロボコップ』のことなのだ。

 恐ろしい。

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