私を残すということ

昔から、思春期の頃から写真を撮られることが苦手だった。皆に愛される容姿だったり、自己肯定感が高くてキラキラした人間が被写体として選ばれるものという意識がとても強かった。
友人たちの結婚式を自分の(安いデジタルスチル)カメラで撮影する機会が増えた、主役の新郎新婦や久しぶりに会う友人たちを写真に納めることが楽しくなった24、5歳くらいにその考えが少し変わったのかも。ドレスを着て髪をセットした煌びやかな自分は被写体になってもいいんじゃないか、みたいに。
お酒を飲んだかどうかに関わらず、ベロンベロンに非日常に酔ってたんだろうね。悪酔いです。

Twitterで原文は忘れてしまったけれど「後々困るから写真嫌いでも写真に撮られておけ」という内容のツイートを見たことも少し関係してるかも。
なにせ結婚式ムービーで困る人多数いらっしゃったものですから。金髪眉毛なしギャル時代の盛りに盛ったプリクラ写真が大量に流れた結婚式は衝撃でした。新婦の鋼のメンタルに。

あと自分が死んだ時のこと、遺影について考える機会があったのも関係あるかな。
祖母が亡くなった時、家族は彼女の遺影写真探しに手を焼いた。
親戚や友人と旅行に行っていた若い頃はフィルムカメラで録った写真が何枚か出てきたが、遺影の条件に見合った角度や解像度のものでもないし、何より20年近く昔の写真はあまりにも若すぎた。
幸い私との最初で最後のツーショットが採用されたけど、角度が問題なければとてもチャーミングな彼女の写真がもう1枚あったんです。とても可愛らしい笑顔のやつ。

でも私たちって携帯電話にカメラが付いた頃から写真って撮っていて、詳細に見ていなくても覚えてなくてもデータはあるんだよね。
携帯電話を使い出してからの画像がほぼ全て残ってて、二言目には「よく残してるね!」って言われるんだけど、私もそう思うよ、本当に。
500万画素?すごーい!と言われた時代に始まり、「お前誰やねん」な顔したプリクラ画像、今は亡き愛犬の愛おしく見ると寂しくもなるムービーが入っていたり。
snsの更新でしょっちゅう使うようになって、16GBあれば十分だったmicroSDはいっぱいです。128GBのUSBお強い。

歴代、と言っても自分写真嫌い時代とか相手が写真嫌いでそんなに撮っていないけれど過去の交際相手の画像データ見つけた時は失礼ながら「うげっ」ってなる。
「あー…名前…えーっと」ってくらい何も思わないなら失礼を重ねて容量増やしたいがためにデータ削除。南無三。

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