「異世界居酒屋のぶ」の物語構造

「異世界居酒屋のぶ 5杯目」を読んだ。
 この書物にも、物語を無限に生み出す構造があるので、抽出してみようと思う。

 わたしが最近行っている抽出方法は、作品を「大きな物語」と「中規模の物語」と「小さな物語」の三層に分けることだ。(ちなみに現代思想における「大きな物語」の概念とは切り離してもらいたい)
 多くの作品がこの三層構造を有していることに気がつき、わたしも驚いているところだ。

 小説家というのは皆大嘘つきだとおもう。どれだけまことしやかなホラを吹けるかが、彼らの腕の見せ所だろう。蝉川夏哉先生は、超一流の大ホラ吹きだ。つまり、超一流の小説家であろう。
 そのホラを、三層構造で分析してみるとどうなるか。それがこの文章の主旨である。ただし、全てが甘い嘘でできた作品ではない。嘘の駆動源となっているのは、真実だ。その真実が何かは、この文章の最後の方で明らかにするつもりだ。

「異世界居酒屋のぶ」は、タイトルどおり、異世界に繋がってしまった日本の居酒屋を舞台とする連作短編だ。まず、物語の基底、小さな物語について。これは、「人生の壁にぶつかった登場人物が『のぶ』の料理を食べることで、生きる力を得る」という、全ての章で貫かれた物語だ。例えば、落ち目になりかかったレストランの料理人が『のぶ』の料理を食べることで、明日に目を向け奮い立つ、といった感じ。

 次に中規模の物語。これは、複数の章をまたがる物語だ。上記の料理人が再起し、新作料理を完成させ、あるイベントを成功させるまでの物語である。ここに複数の登場人物を関係させることで、歯車はより大きな物語へと繋がっていく。

 次に、大きな物語。これは、『のぶ』の世界観そのものだ。様々な国家が乱立する大陸全体を巻き込んだ物語。小さな歯車が中規模の歯車を動かし、さらに大きな歯車を動かす。その全体像である。

『のぶ』が見事なのは、この三つの層が互いに連携していることである。小さな物語だったはずの登場人物達が、大陸規模の政治地図を変えてしまう。こんなことが現実に起きたら楽しいだろうな、とおもう。
 つまり『のぶ』の面白さのある部分は、歯車が噛み合うことの快感なのだ。創作する際に、キャラクターだけではなく世界も作ってから物語を書かねばならない理由がここにある。

 では、この歯車を動かす駆動源は何だろうか。
 それは、多分、「仲間と食べることの楽しさ」というごく普遍的な感情だろう。
 食事を、「生きるために必要なカロリーと栄養素を摂取するためだけのもの」と、「科学的」に考えることからははみ出してしまう、非常に人間的な部分だ。

 歴史を単純化すると、「人間が生産できるカロリー量に比例して、政治組織や宗教や文化が発達した」と言えるだろう。そういう考えで人類の歴史を眺めることもできる。
 だが、それは実際に悩み苦しみながら生きようと足掻いた人々の営みを無視した歴史観かもしれない。実際には、「仲間と食べることの楽しさ」のようなものが、歴史を動かしてきたのかもしれない。

 つまり『のぶ』の世界の駆動源は、我々の住む現実世界の駆動源でもあると言えるだろう。

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