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柳田國男「遠野物語」

「遠野物語」の模写が終わった。
ノートにシャーペンで写していた。半年以上かかったかな。
仕事の休み時間とか、家に帰って子供が寝た後とか、時間を見つけて模写していた。

それで、俺の中で何か変わったかな? 少しは成長したかな。
文章は上手くなったと思う。
よく、小説家になるために「小説を丸写しにする」練習方法があると聞くが。
それの、ごく短いバージョンだね。
それでも、半年かかった。

さて、模写していて色々気がついたことがある。
遠野物語は、「お化け話」が多い。名前のないお化けも登場する。実際に体験した人は、あんまり「お化け」に名前をつけなかったのかもしれない。

だけど、びっくりしたのは。
江戸時代の「妖怪絵巻」「妖怪図鑑」に出てくるのを思わせる妖怪が、明治時代の遠野地方に出没していることだ。

例えば、塗仏。

目玉が飛び出した、黒い坊主のような妖怪で、何をする妖怪なのか、詳しくはわかっていない。江戸時代には有名な妖怪だったのかもしれないが、京極夏彦氏の小説を読むまで、知らなかった。
ところが、この目玉が飛び出した謎の妖怪が、遠野物語に登場する。

七九 この長蔵の父をもまた長蔵という。代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。若きころ夜遊びに出で、まだ宵よいのうちに帰り来たり、門かどの口くちより入りしに、洞前ほらまえに立てる人影あり。懐手ふところでをして筒袖つつそでの袖口を垂れ、顔は茫ぼうとしてよく見えず。妻は名をおつねといえり。おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは遁にげずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま後あとずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に入はいりたり。されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の隙すきに手を差し入れて中を探らんとせしに、中の障子しょうじは正まさしく閉とざしてあり。ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の雲壁くもかべにひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く垂たれてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように思われたりという。この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。
○ヨバヒトは呼ばい人なるべし。女に思いを運ぶ人をかくいう。
○雲壁はなげしの外側の壁なり。

遠野物語(青空文庫より)

遠野物語は文語で書かれているので分かりづらいが、目玉が飛び出した男がこちらを見下ろしていた…ということらしい。これは、造形的には塗仏に近い。
江戸時代に広く人々に知られていた妖怪の姿が、時代とともに人々の頭から姿を消した…だが、遠野地方には残っていた、ということだろうか。この化け物の話を柳田に伝えた人は「塗仏」を知っていたのだろうか?
それとも、塗仏と、この化け物は他人の空似で、系譜関係はないのだろうか?

さて、次は高女だ。

これも、何をする妖怪なのか分からない。絵だけが残っている。
どうやら、やたら背の高い女が、衝立の向こう側から覗き込んでくる、というものらしい。
これに近い妖怪が、遠野物語に登場する。

七五 離森はなれもりの長者屋敷にはこの数年前まで燐寸マッチの軸木じくぎの工場こうばありたり。その小屋の戸口に夜よるになれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。その後また同じ山中に枕木まくらぎ伐出きりだしのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち茫然ぼうぜんとしてあることしばしばなり。かかる人夫四五人もありてその後も絶えず何方いずかたへか出でて行くことありき。この者どもが後に言うを聞けば、女がきて何処どこへか連れだすなり。帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。

遠野物語(青空文庫より)

窓から女の人が覗いてげたげたと笑うなどと、恐ろしいことこの上ないが、何となく、この高女に近い気がする。

つまり、二つ例を出して何が言いたいかっていうと、江戸時代の絵巻ものや、鳥山石燕の本に登場する妖怪が、東北地方の農村に登場していたかもしれない、それが驚きだってこと。
他人の空似か、何か共通の言い伝えがあったのか。
今の私に調べる能力はないんだけどね。

柳田國男の全集を読んでいると、「あれ? 九州と東北で同じ言い伝えがある? 直接人の行き来があったわけではなさそうなのに、なぜだ?」という疑問が書かれている。遠野物語にも、それはある。

伝わったのか、他人の空似か、それとも、本当に塗仏や高女は、かつて日本全国に存在していたのか?
結論は出ないが、なんだか不思議な感じがして、楽しくなってくるのだ。

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