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『女子大に散る』

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成熟まぎわの花々を活写しつつ条理なき「大学」を剔抉する連作短編集、各4000字程度・第一部として全10話。
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#読書

『女子大に散る』 第9話・蝶よ花よ

 まだ遠慮と物怖じの抜けない四月末の一年生のうち、最初に話しかけてきたのはAさんIさんEさんだった。授業後ヒソヒソキャッキャしては、 「先生──」  春風に吹かれたようにちょっとの距離を駆けてきた。「アア女子大」と悶絶しかけつつ、憂鬱ぎみの顔面つくろい出席簿をつけるふりをしていた。 「はいはいはい」 「あのっ、わたしたち特待生になりたいんです」 「だから『秀』ください」 「なんだそれ!」  本末転倒の要求に思わず笑ってしまった。特待生は年間の成績優秀者から選出される若

『女子大に散る』 第8話・パパを探して

 しばらく図書館をうろうろしてから帰路についた。停留所に大学始発バスが待っていた。午後6時を回ってガラガラで、おそらく最終便だろう。これぞ渡りに船と朝タクシーで来たことも忘れて飛び乗ったら、 「あ~せんせ~」  二年生のOさんが降車口そば二人席の先頭をニヤニヤ占めていた。毎度のように三限で一戦まじえてきたところだ。 ──次、Oさん。 ──えっとお、…… ──ん? もっかい。 ──だからあ、…… ──やべえ全然聞こえねえ…… ──エッへせんせおじいちゃん~。 ──最近なん

『女子大に散る』 第7話・桜色ポリティクス

 面接にやってきた午後の女子大キャンパスは、うららかな晴天の下で不気味なほど静かだった。 「どうぞお掛けになって」 「失礼します」  後に講師控室と知ったところで年配の女性と差し向かった。麗しい言葉づかいに誘われてのっけから談笑してしまう。 「先生ずいぶん背が大きいのね」 「それが中身は空っぽなんです」 「あらあら、そんなことないでしょう」  トヨムラ先生は、当時まだ三年めを迎えようとする看護学部の構想段階から関わってきた初代学部長で、ターミナルケアが専門の元看護師で

『女子大に散る』 第6話・えくぼの悪魔

 なんだか気だるくて早めに四限を終えた。ごった煮でよくわからない残り香ただよう教室で、消灯して、窓辺の空調棚に腰掛けてボーッとしていた。  五限始まりのチャイムが鳴った。午後4時半前、同じ階にわりあてられている授業はない。ようやく止んだ梅雨の雲居を静かに青が裂いてくる── 「わっ」  あけっぱなしの前扉から花車がひょっこり、 「びっくりしたあ」 「アハハしなないで」  三年生のSさんだ。相変わらず黒と白を基調に赤の点景をちりばめたゴシック風の粧いが板についている。

『女子大に散る』 第4話・Kの墜落

 Kも非常勤講師で、担当は語学ではなく専門科目だが、いわば同僚だった。初出勤の四月第二週火曜、ぶじに授業を終えて出勤簿に押印しようと講師控室へ寄ったら出くわした。 「あっ、お疲れさまです~」  世慣れたふうの語尾上げは160センチ少々の痩せぎすにぶかぶかリクルートスーツ姿である。袖に見え隠れする骨ばった手首、角刈りをふた月放っておいたような野暮ったい髪型にシミシワひとつない白皙の顔色で、まさか中学生かしらと疑りつつも、とんがった喉仏と青々しいヒゲ剃り跡に危なげなく「やや年

『女子大に散る』 第3話・黄白い誘惑

 十月初週、後期授業が始まった。秋雨つづきで鬱々たる中およそ二ヶ月ぶり大声で270分しゃべり続けたせいか、三限の一年生クラスを終えたころにはクタクタだった。 「先生……」  次の教室へと散ってゆく花々を尻目に座り込んで、教卓を挟んで目前に来ていた一輪にも声をかけられるまで気づけなかった。 「ハイハイどうしました」  とにかく腹が減っていた。早起きも久しぶりで朝はバナナにヨーグルトで間に合わせ、それから七時間あまりお茶と煙しか喫んでいない。それまでも昼はアメ玉で凌いでい

『女子大に散る』 第2話・天使のケア

「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ!」  午後4時半すぎ、講師控室へと戻るため渡り廊下にさしかかったら、くぐもった怒鳴り声がした。なんだなんだと目を上げるや、 (あっ先生)  突き当たりに見慣れた顔が覗いた。二年生のHさんだ。 (こんにちは) (おとといぶり~)  続けてぽろぽろ覗く。丁寧な会釈のMさん、ひらひら手を振るIさん、そろって実技科目の後らしく白衣姿である。小声なのでひとまず真似して、 (Aさんはお休みですか) (せっ、きょう、ちゅう) (バイ、アン