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小学三年の夏休みの宿題に「ぼくの・わたしの夢」という作文があったらしい。先だって母と電話する中で話題になった。田畑山水に囲まれた祖母の家で、手を真っ黒にして書き上げていたという。もう四半世紀より前のこと、そう言われてもなかなか思い出せなかった。 勉強なんて、どちらかと言わずとも嫌いだった。国語算数理科社会より虫取り網とカゴと水路と杉の木の方が絶対的に大事だった。今はベランダにアブラゼミがひっくり返っているだけで肝が冷えるのに。 「『飛』は、こう、こう、こうじゃ。ハネ、
やや早めの仕事帰りは午後4時過ぎ、毎年のように聞いている気がするラニーニャのせいか梅雨明け早々の真夏日である。こんなことなら日没まで図書館で時間をつぶしてくればよかったと、暑気に澱んだ駅前を抜けたあたりから悔やんでいた。 ほんの数分が果てしなく遠い。路地には陽炎が踊り、まるで地獄の一丁目だ。住宅街につき日よけもない。こんなときこそ日傘があれば楽なのに、誰に笑われようが指さされようが今さら構うまいと前年も前々年も痛感していたのに、喉元過ぎればの要領で忘れていた、そのことも
不快ばかり謳われる六月末に誕生日がある。 梅雨は好きじゃない、が手放しに嫌いとも言えない。曇ぐもりに晴れ間が覗けば洗濯事情だけじゃなく喜ばしいし、虹まで架かれば命あることの感激ひとしおだ。なにより重たげな灰白一色の空にも雨だれの透明にも映える、におわしき藤色や葵色の大輪に出会える。 この花、英語では学名そのままハイドランジアという。古代ギリシャ語が語源で直訳すれば「水の器」、他方われらが「紫陽花」は当て字かつ誤記が由来らしいが、どちらにせよ字からも甲乙つけがたいほど