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再休職期間と通院

4月が近づくと思いだす

こんにちは、みさとんぬです。
5年日誌2年目、ちゃんと日記続いています。
だからこそ…ですが。

3月終わりや4月入ってからの私の記録が当然記されてて
当時のことが昨日のことのように思い出されるから
気持ちがいまだに乱れるなと思う今日この頃です。
今回はその休職期間と通院、気持ちの乱高下について
綴って行こうと思います。

本格的に始まった休職期間

昨年1月、年始早々に休職が決まり、
家で過ごす時間が増えていました。

実家にいる母親に休職になった話をしたら
車の置けるスペースが1台空いている
平日は実家に帰っておいで、
と嬉しい話をしてくれたので
(土日は父親が帰ってくるので
 どうしても帰らないといけなかったのです)
通院のことも考え、
お言葉に甘えて平日は実家に、
土曜休日は当時一人暮らしをしていた社宅に
帰って過ごすという生活をしていました。

久しぶりの実家での生活は当初は全然慣れず
実家なのに他の人の家にいる気分でありました。

そして大体できる家事はしていましたが
ほとんどベッドから動けない生活をしていました。

でも週末になると土日や作り置きができるように
母親が家の食材調達と一緒に私の家の分まで買い物してくれたり
父親が帰ってくるギリギリまで実家にいさせてくれたり
援助としてはとても手厚いものをしてもらっていました。

実家に帰る?絶対嫌だ!

そんな1月のある日のこと。
事件は起こります。

元々その日は実家に帰る予定の日だったのですが、
前日が爆弾低気圧で大荒れ。
実家に帰る日は前日とは打って変わって高気圧という
私にとっては最悪なコンディションの日でした。

そう、双極性障害を含む精神疾患と診断されて治療が始まってから
今まで以上に天気や気圧に体が適応できなくなってしまった
のです。
そんな状態でも人間って予定には合わせようとするんですよね、
我ながら驚きです。

でも、その日は違いました。
実家に帰る準備もしなきゃいけないけれど
常日頃、少なからずある希死念慮が爆発したのか、
携帯でひたすらいのちの電話を探しては電話して
でも電話しても繋がらなくて絶望して
昼間の仕事中というのにも関わらず
母に一本、この世から去りたい
(本当はもっと直接的な表現ですが)とLINEを送りました。

これを送った割とすぐに母から電話が来て
話をするわけですが、社宅はどのみち引き払わないといけないため
このタイミングで「実家に帰ってくる?」と聞かれました。
でも実家に帰ると言うことは私にとって嫌な存在である父と
顔を合わせなくては行けなくなることを意味します。
その状況をすぐに理解した私は泣き叫びながら
「絶対嫌だ!そんなんなら帰りたくない!!」と
拒絶をするのでした。

ひとしきり泣き叫んだ私の状況を電話を通じて聞いた
母は何かを察したのか、仕事を中抜けして私の家に来てくれて
話を聞いてくれました。
その時点で布団の中から話してた私、
なんか申し訳ない…。
30分くらい家では話して、親はまた仕事に戻ったのでした。

心理的な虐待状態だった幼少期

軽くバックグラウンド話すと
私と父親の間には確執があります。
父親はその根幹を忘れているようで、私は既に失望して
一応娘を「演じて」いるのですが。

理由は幼少期〜社会人になるまでの厳しすぎる躾のトラウマ。
今思えば幼少期においては虐待って
言われてもおかしくなかったと思います。
年を重ねるごとに身体的なものは減っていったし、
幼少期の身体的な躾は一瞬の痛みだったけど、
心理的には一生残る傷をつけられました。

だから、休職前に私がどんな仕事をしているのかを
知っておきながら私の気持ちを踏み躙られるようなことをされた
り、
(理由を何度聞いても言い訳にしか聞こえんで
 失望したのを今でも覚えている)
休職していくら母親伝いで
精神疾患に理解を示すようになったとしても
(※母親は障害者支援関係の仕事をしています)
当事者からしたら知ったかぶりされているような気がして
ずっと嫌だったんです。

それは1年経った今も変わらないですが。
父親から見放されたらいよいよ私の生活が成り立たなくなるので
一応大人しく娘を「演じてあげている」状態ってのが
現在の我が家です。

そして始まった週1回の通院

前述の事件とは時系列が逆になる部分もありますが
双極性障害と診断されてから週1回の通院が始まりました。
車で行ったり、睡眠薬を服用していたことから
実家から電車で向かってみたりと
いろんな方法でとにかく通院だけは頑張って行きました。

当時は通院前には話が飛ばないための筋書きとして
理路整然に話せるようにメモを作ったり
診察時にはその筋に対して肉付けをして話を進めるような
やり方で診察に臨んでいました。

「ちゃんとメモに残せるのは偉いね」って
褒められたのは今でも嬉しい思い出←
というか今の主治医は私の仕事ぶりに対して
常に肯定的に捉えてくださったので今でも
通院を続けられていると言うこともあるのですが←

当時は薬も双極性障害の薬でも弱めの薬+
精神安定剤+睡眠薬という組み合わせ
で飲んでいましたが
双極性の薬は効くまでに時間がかかったのは分かっていても
精神安定剤と睡眠薬飲んでいるのにも関わらず
全然寝付けなかったのがしんどかったですね。

ちょくちょく睡眠薬は相談して変わっていったのですが
ぐっすり寝れる代償として悪夢を見ることが多く、
寝言ついでに大きな声で叫んだり壁殴ったりなどがあった
睡眠薬もあり、薬の合う合わないが出ていて苦しかったことも
しばしばありました。

今思えばそれが私にとってのヘルプサインだったのかも…。
通院が始まって1ヶ月、夜服用する薬を飲んでも
ずっと寝れなくて、オールしてから
朝になってようやく眠れるようなこともありましたし…。
この時点で受診予約をとった日よりももっと早くに相談して
予約・受診すればよかったなと思ったのは後の祭りで。

ひとまず、この週1回の通院で
体調としては波こそあれどなんとか普通に
生活できるようにはなってきたかなとは思います。

余談ですが1年経った現在は薬も
自分に合う組み合わせができたので
週に1度から2週に1度でよくなり、
調子も徐々に上向きになってきたことだけは
ここにご報告させていただきます。

次回は春先、
ちょうど1年前にあったことをつらつら
書いていこうかなと思います。

相変わらず読みづらい文章ですが
読んでいただきありがとうございました。

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