神だって超える#26
▼レベット王国▼
遡ること数刻。建国儀礼を執り行う為、正装をしたイーサンは地下に眠る封印の部屋へと足を踏み入れる。国王と儀式に必要な術式者と呼ばれるものが数名同行する形に。地下に続く階段は絶え間なく続く感覚であったが、数分の間に、普段は誰も立ち入れない封印の部屋へと到達する。一年に一度だけ、開かずの扉は開かれる。その鍵は国王の首にペンダントとして存在していた。肌身離さずに持っていることから、いかにこの部屋を守ろうとしているのかが窺える。
「うぅ、冷える」
イーサンはヒンヤリとした部屋に身震いを起こす。国王は無表情で部屋の奥へと進み、術式者に頷いて合図を出した。部屋の一番奥にある石版は薄光を帯びていた。それを囲うように強固な格子が天と地に埋め込まれ、その格子にも不思議な力が宿っているのか発光している。幼き日から不思議で仕方がなかったが、妖獣が誇る『術法』というものの影響のようだ。イーサンはそれを扱うことが出来なかったし、国王もまた扱ったところを彼女は見たことがない。王妃でもあった母には、どうやらこの『術法』を扱う才があったようだ。イーサンが物心つく前、その母親は病によって亡くなったという。だから彼女にとって、母親の顔は思い出せない存在に過ぎない。
(あ~、早く終わらないかしら)
仏頂面の父はイーサンに興味がない。なにか話しかけてきたかと思えば、国事に関することばかり。父子としての会話をした記憶はなかった。これはあくまでも噂に過ぎないが、昔の国王はもっと明るい人物であったそうだ。そこに驚きはあるが、それ以上に驚いたことがあった。
――自分とは違うもう一人の王女の存在。それはイーサンが生まれるよりも前から存在し、つまり姉にあたる者だった。しかし、王宮に仕える者に問いただしても酷く酸っぱい顔をする者ばかり。父親へ訊ねようとも考えたが、近寄りがたい雰囲気の国王に訊ねる勇気は持てなかった。
結局、姉の存在は真実か噓か。彼女の姿を見たこともなければ、彼女がいた痕跡もない。年齢を重ねると共に、姉の存在は虚像でしかないのだと割り切った。
「始めよ」
王の指示により、格子を囲んでいた術式者たちはゴニョゴニョとなにかを唱え始める。
(毎回思うけど、地味よねー)
術を唱えてからは、しばらくの間はジッと待たなければならない。毎回といっていいほど、国王と過ごすこの沈黙の時間が苦痛だった。
「イーサン。最近、外で逢引きしている者がいるらしいな」
まさかのまさか。国王から声を掛けられた挙句、あまり触れられたくない話題に肝を冷やす。
「え、ええ、まあ」
「男か?」
「……王女だから決まった者としか話すな、と云いたいんでしょうか?」
「好きにするがいい。私には関係のないことだ」
関係のない。その言葉がイーサンを苛つかせる。我が娘に関心がないのは重々承知はしている。だが、直接言われることは嫌味以外に何がある。
「だったら、わざわざ質問をしないで」
「……そうだな」
また、沈黙。
(さっさと終わってよ、もう!)
国王は彼女の横顔を見つめていた。愛した女性の面影によく似てきたものだと微笑む。
――建国儀礼の眠たさに耐え切れず、飛び出したフィールは王都を飛び出して、シャンブリ大陸へと続く森に入った。
彼には疑問があった。どうして陸続きなのに大陸名が違うのだろうと。その秘密を探るため、彼はひたすら南に向けて走り抜けた。
途中の小川で喉を潤していると、水浴びをしていた女性と遭遇をしてしまう。初めて女性の裸身を見てしまい、彼は失神をした。
目を覚ますと、水浴びをしていた美女の顔が上にあった。彼は飛び跳ねて何度も謝った。彼女はクスクスと笑って、サンリーと名乗った。『術式者』という身であるが故に身を清めていたというのだ。
「今、建国儀礼で術式者が来ているけど?」
「私はまだ未熟ですから。王子こそ、脱け出してよかったのですか?」
なんというか、全てを受け入れてくれそうな優しい表情に、フィールは彼女へ心をときめかせたのだ。
「大陸名が違う理由ですか? 私が聞いたところによると、昔は西の大陸も南の大陸も繋がってはいなかったみたいです。時代の流れと共に、隔てていた水は枯れ、大陸が続くようになったようですよ。なんでもその方が交易するのに利便だと誰かが言っていたようですが」
彼女はあらゆることに博識を持っていた。好奇心旺盛なフィールは、さまざまなことを彼女に問い、その度に確りとした回答が返ってくるのだった。
時が経つのも忘れ、二人はあらゆる事に対して言葉を交わす。
次第に彼らは互いの心を寄り添わせ、遂には婚儀にまで至った。第一子を授かった時はフィールは情けなくも涙を流し、サンリーが優しく彼の背を擦ってやっていた。
第一王女が元気に駆け回り、流暢に話せる頃。王位継承が執り行われる。フィールは自分が国王になることを心から誇らしく思った。だが、父である国王から継承と共に言い渡された伝承に言葉を失う。
それは古くから守り続けてきた地下に眠る部屋のこと。妖獣にとって、それを守ることが何よりも重要であり、種族の滅亡よりも優先すべき事項だと。
冷静になって考えれば、自分の代で問題がなければいいだけの話だ。フィールはそう考えていた。
第二王女の誕生は当然として喜ぶべきものであったが、男児でなかったのが残念に思うところもあった。彼女をイーサンと名付けた。第一子をフィールが考えたのだから、今度は私がとサンリーは頑なに名付け親になろうとした。サンリーとフィールの名を掛け合わせたのだという。
「おいおい、それならフィーサンにならないとおかしいだろう?」
「フィーサンだと、あまり可愛らしくないわ」
彼女のセンスとは少し噛み合わなかったが、彼女に押されたフィールが折れる形となる。この頃。既に胸が膨らみ始めた第一王女は、正義感が強く男勝りな性格となっていた。
悲劇が起こったのは、イーサンが生まれた2年目の建国儀礼の日だった。親子揃ってサンリーの術式を見守っていた最中のことだった。封印がままならない状態、突如として術者の一人が立ちあがり、石版へと手を伸ばすのだった。その石版はこの世の真理を全て破壊しかねないと、父に言われていたフィール。咄嗟に石版に立ちはだかったのは、術式を唱えていたサンリーだった。
「どけぃ!」
法衣の中袖に隠していた鋭利な刃物を抜き出し、術者はサンリーの胸部をへと突き刺す。
「サンリー!!」
「お母さま!!」
すぐに他の術者が、蛮行な術者を取り押さえる。サンリーの元へと慌てて駆け寄ったフィールは崩れ落ちたサンリーを両腕に抱こうとしたが、まだ幼いイーサンを抱えていたことに気が付く。
「しっかりするんだ! サンリー!」
「うふふ……、そんな悲しそうな顔はしないで……。この、封印は、誰にも……解かせては……いけない……。もっと……厚くしないと……」
「喋るな! すぐに医者に見せる!」
サンリーの指が伸びる。それはイーサンの頬へと触れた。
「私の……最期の仕事。この子にもう一つの……ゴホゴホッ……術式を」
指先が光り、サンリーの指とイーサンの頬の間に光の環が生まれる。
「お母さま! 無理をしないで!!」
「ごめん…ね。もっと、あなた達にお母さんをして……あげたかった……」
「いいから!! もう、黙ってよ、お母さま!!」
光が次第に薄れていき、今度はイーサンの胸の内から光が零れだす。それを確認したサンリーは満足気な表情で、イーサンの頬から力なく手を落しす。
「お母さま!!」
「イーサンのことを頼むわよ、エリザベル……」
「……私、私は……」
幼きエリザベルの涙を拭おうとしたサンリーだったが、もう手を持ち上げる力は残っていなかった。ぼやけてきた視界の中、止めどなく涙を流し続けるフィールの顔が、出会った頃の若かりし彼となって見えた。クスリと笑った彼女は、抗うこともなく瞼を閉じ永眠へと入る。
「サンリー? なあ、サンリー。返事してくれよ……」
「いや、いやああ!!! お母さまーーー!!!」
その日、親子揃って涙が尽きるまで泣き続けるのだった。何も知らぬイーサンを除いて。