見出し画像

#8 あるべき論や正論は大人として扱われない 23/12/4

みなさん、こんにちは。
今日は、あるべき論・正論を考察します。

ここからは実際のできごとを参考にデフォルメしています。
先日、内部監査から、ある業務プロセスについて、是正勧告を受けるリスクがある、と指摘を受けました。より適切なプロセスに修正をかけて、そのリスクを小さくしていくことに異議はありません。

さて、ここからが今日の本題です。
管理部門の課長は、「内部監査の指摘により、納期までの対応完了を100%にしていかないといけません。対策として、部門長から課長に対する啓蒙をより強化してほしい」。

言っていることは分かります。しかしながら、発言の中身は、「監査の指摘があったから」、「法令遵守だから」、「対策は啓蒙(指示管理)強化」、です。少し分かりづらいですが、これが、べき論、ではないかと考えます。

べき論は、主語が自分ではありません。
法律、規則で決まっています。
社長・上長・先輩(権威のある人)の指示です。
みんなが、なんてこともよく聞きます。
常識・社会通念、などもです。
あえていわなくても、それは前提条件の類です(俗に言う偉い人は少し異なりますが)。言い換えると、何かを盾にしている、と考えます。


後段の対策については、また別の考察をします。
現状の事実を捉え、何が一義的に(表層的)問題で、なぜそれが問題なのか、課題設定がなされているか、です。解像度が高いか、具体的になっているか、です。そうでないと、外れてはないが一般論であったり、その打ち手によって問題が解決されずに終わってしまうことが高い確度で起こり得ます。

打ち手はしました、改善傾向は見えます、など雰囲気の演出やアリバイづくりはできます。つまり、あと付けで何とでも言えてしまいます。やった感の雰囲気、とでも言えましょうか。

さて、前回エントリーした内容では、役職、役割を背負いすぎることの問題を考察しました。これも、完全な、べき論です。

課長は、こう振る舞わねばならない。
できないことがあってはいけない。
できていて当たり前である。
時間を厭わないのである。
など、べき論に囚われた、自ら呪いをかけてしまった典型的なケースです。

ここで挙げた2つの例は、「こうすべきだ」と明確に言動が示されているわけではありません。明らかに「こうすべきだ、おかしい」と発言をされるケースも、日々の仕事場面ではよく見かけます。

冒頭の例のように、コンプライアンス、法令遵守は事業運営の前提です。守らない判断はありません。ただし、白黒はっきりしないグレーゾーンが存在することもまた事実です。

その事案の個別周辺状況・条件によって、解釈の余地がある性質のものに対して、「法令だから、〜すべき」、と二項対立や二分法に単純化して、べきと主張を繰り広げるのは、大人ではありません。大人扱いしてもらえない危険性を伴います。

さて、これが真理ではないでしょうか。
それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?