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『1999年のサーフトリップ』第2章

<この海原を越えて>

かつて無能と無資格が俺の専門だった。ゴキブリたちと友達になった中央線沿線の町の安アパートでパッとしない大学四年生だった時にたいした考えもなく、無能で無資格の身一つで強く優しく生きて死のうとそう決めたのだった。
そうは言っても、デタラメに生きて働くのにもところどころで何がしかの資格が要求された。今ではとりあえず普通自動車免許。大型特殊とフォークリフトの免許も持ってる。それからチェーンソーと刈り払い機の免許。高所作業車。玉掛け。ボイラー二級技師。施設警備二級。英検二級。介護ヘルパー二級。上級救命講習と自衛消防業務講習の修了者でもある。ようするに、ドラゴン桜じゃないが無能と無資格はあまり相性が合わなかったということだ。しかし、キャプテン・メモハブとサーフトリップに出た1999年の俺は間違いなく無能で無資格だった。高校生の頃に取った原付免許は遠に失効していたし、カローラⅡの運転すらできなかった。

世紀末のその年は前年の暮れから気分が良かったんだよ。数年来滞って沈んだままのしつこい油汚れに特大のアルカリ洗剤をぶち込んだみたいに心が晴れ渡ってた。世界が輝いて見えた。すべてに意味があるように思えて、それとも仮に意味なんかなくったってそれならそれでちっとも構わないぜってそう心の底から思った。なぜ突然そんなことになったのか我ながら今だに不明だが、その時俺は無暗にハッピーな気分のままやたらと酒をあおり、優しくしてくれた友達を呼び出しては礼を言い、喧嘩別れした知り合いに詫びを入れ、没交渉だった親戚に連絡しては近況を報告しあった。そしてタイやヒラメが舞い踊る竜宮城の中からこんな作文をつかみ出した。

"go away from my window"

俺はここまで書いて手を置いて自分に言ったんだよ。
「おいコウジ、いいじゃん。これには確かに何かが書いてあるよ」
そしてまた酒を飲んだ。
三月までそうやって飲みつづけて、ある朝ひどい二日酔いで目を覚ました。そして、それが去って行ったことを知った。何かとても大事なものに追い抜かれて行ったみたいな感じがした。俺はパニックに陥った。怖くて一日膝抱えて部屋でうずくまってたよ。翌日近所の精神科に行ったらカーネルサンダースみたいな医者にあなたはパニック障害という病気です、って言われた。たいした診察もなかったな。実は明日旅行へ行く予定になってるのですが…。ハワイなんですけど…。どうしても行かなきゃならないってわけではないんですが…。と尋ねると、カーネルサンダースみたいな医者は「是非お行きなさい」と即答したのである。
「きっとつまらない旅行になるでしょうが行った方がいい。絶対に」
そう言って二週間分の薬をくれた。
だから行ったんだよ。ハワイ。なぜハワイかというと、その頃俺が書こうと思ってた小説にホノルルマラソンを走る奴が出てくるから。まあ、取材というか何というか、バイト辞めたばかりで金はあったし暇もあった。気分もその前日までは良かったから、ただどこかでのんびり今後のことでも考えるか、とそんな感じでした。サーフィンしに行ったわけじゃない。旅行から戻ってくる頃にはこんな得体の知れんもんからはすっかり解放されてるんじゃなかろうか、と期待もしてたけど、ハワイと東南アジアをふらついて、結局ふた月後日本に戻ったときもやっぱり気分は猛烈に悪いままだった。これからどうするかな…、なんて考えてる時にキャプテン・メモハブから葉書がきた。手紙だったかな。それにはゴールデンウィークにお母さんとナっちゃんが山口に遊びに来たことが書いてあった。よかったらコウジも一度来てみなよ、というようなことが微かに見覚えある汚い字で最後に書き添えられてた。当面することも思いつかんしさ、じゃあ、行ってみようかな、っつってさ、山口の小郡の駅で二十年ぶりに俺はキャプテン・メモハブこと相馬和弘に会ったわけ。

『1999年のサーフトリップ』第3章

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