ヨハネス・フェルメール
こちらの記事の言い訳
ヨハネス・フェルメール
デルフトの画家、カレル・ファブリティウスの後継者として22歳で有名になるが子供が14人いたので生活が大変だった。 フェルメールの後継者がいなかったので、約200年間作品が表に出ることがなく、現存作品が少なく36点ほどと言われる。
年表
1632年
オランダのデルフトで誕生。
1641年
父親が宿屋の「メーヘレン」を購入。9歳。
1648年
画家の修業を始める。16歳。
1652年
父親が亡くなり、宿屋と画商業を引き継ぐ。20歳。
1653年
結婚のためにプロテスタントからカトリックに改宗し、カタリーナと結婚。21歳。
1654年
デルフトの火薬庫爆発でファブリティウスが亡くなる。長女が生まれる。22歳。
1656年
「取り持ち女」を制作。24歳。
1659年
「牛乳を注ぐ女」完成。27歳。
1665年
「真珠の首飾りの少女」完成。33歳。
1666年
「絵画芸術の寓意」を制作。34歳。
1670年
母親が死去。メーヘレンと遺産を相続する。38歳。
1672年
イタリアに絵画鑑定のためにハーグに行く。40歳。
1675年12月15日
デルフトで死去。43歳。
世話人の勝手なイメージ
作品が世に出るまで、200年もどこでどうやって保存されていたのかなと思います。まとめて保存もあっただろうし、1点1点誰かが必死に守ってきたものもあるのかな?現存する数は少ないけれど、なくなってしまった作品はどんなだったのだろうかなと考えることがあります。 それにしてもこの方の青色は原料がラピスラズリだそうです。今作られていてもとっても高価な絵の具ですよね。今売っている絵の具で一番近いものはどれなのかなと思いますが、比べるとやっぱり微妙に違って、「フェルメール・ブルー」は唯一のものだと改めて感じます。
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