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昔友人に言われた一言で、心に残っている言葉があります。

「あなたのことを大切にしない人を、あなたが大切にする必要はないよ」

その言葉を聞いて、心がとても楽になりました。でもそれを言った彼女との関係も向こうから一方的に切られてしまったので、私は彼女の大切には値しなかったということなのでしょう。

自分のことを「境界性パーソナリティー障害」なのではないかと思い始めたのは、ここ数年のこと。

心療内科の門は叩けていませんが、私は自分がそうであると思いながら生きていくことに決めました。自己診断に意味があるかないかはさておき、そういうメンタル的な病気であると言いかせることで、その病気の対処法が上手く自分と付き合っていくヒントになると考えました。

私はとっても極端です。

いいことがあると、とても幸せな気持ちになる反面、嫌なことが少しでもあると、いいことがあった後でも、嫌なことしか考えられなくなってしまいます。

機嫌が悪い、とは少し違います。自分の中で納得ができないことを消化するために、あーでもないこうでもないと考えを巡らせるのです。すると無口になって、傍から見たら機嫌が悪い人です。

時が解決することはありません。一晩寝れば落ち着いて冷静にはなりますが、それは感情的な部分であって、自分の中の理論ではなんの解決にもなっていないので、水に流すということができません。あのときああいう風だったよな、とずっとそれが付き纏うのです。

人付き合いも上手ではありません。

極端な性格なので、少しでも嫌なところがあると、すぐに人のことを信用できなくなります。反面、依存もしやすいです。依存していた人に嫌なことをされたら、すぐに裏切られた気分になります。

ここまで見ると、私はたいそう扱いづらい人のように見えますが、そういうわけではありません。と、思いたい。

私は私がこういう人間である、ということを自分で理解しようと努めています。だから、そんな自分が全部表出しないように、上手くやっていけるように、少しずつこのモヤモヤを抑えつけながら生活しています。そのヒントが境界性パーソナリティー障害の対処法にあると思っています。

友人たちと付き合う上で、納得できないことがあったり、裏切られた気分になったりすることももちろんありますが、それで一々関係を絶っていたら周りには誰もいなくなります。

ここで冒頭に戻ります。

「私のことを大切にしてくれる人を、大切にする」

そこが線(ボーダー)です。

そこの線引きだけは決してブレないように、人付き合いをしています。考え方が違っても、意見が対立しても、その線引きの中に友人との関係があれば、耳を傾けます。私と長く続いている友人たちは、こんな捻くれた私のことも大切にしてくれているのだから。

私はこだわりが強く、視野も少し狭いです。自分のペースが乱れるとひどく動揺し、イライラします。

最近は、自分がそうであるということをあえて口に出すようにしています。頭ではわかっていても、イライラを抑えられないときがあると予め伝えておきます。クールダウンをすることで落ち着くので、その必要性を説明します。あなたのことが嫌いでイライラしてるんじゃないよ、というアピールも兼ねています。

ただ、申告すれば何をしてもいいわけではありません。イライラは抑えられないけれども、だからといって人を傷つけるような行動を取ったり、傷つくような言葉を言ってはいけません。物に当たったり自分を傷つける行為もいいとは言えません。

ここが線(ボーダー)です。

ここまではいい、ここからは駄目。それをしっかり決めることで、なんとか周囲の人と破綻しないように付き合うことができています。

感情の起伏が激しい自分を、嫌だと思うこともあります。でも、基本的に私は私のことが好きです。別の視点から見れば、感情が人一倍豊かであるとも言えなくもないです。

こんな私のことを大切にしてくれる人たちを大切にしていけるような人間でありたい。

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