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自分を卑下する思考の癖を止めるべき

あなたは今、幸せだろうか。きっと「すごく不幸」というわけではないだろう。でも、仕事が辛い。家族、恋人との関係が辛い。人生に明かりが見えない。そんな一抹の辛さを抱えているのではないだろうか。

のび太くんと仕事の話

私は、仕事が辛い。

翌日の仕事が嫌で、夜中の二時から眠れなくなってしまう。

ハッキリ言えばこれは甘えだ。世間の平均から見れば年収も良いし、ノルマがあるわけでもない。上司が怒鳴る、蹴るということもない。ロジカルに詰められはするが、そもそも自分が出来ていないので全く理不尽ではない。むしろ上司に同情してしまうくらいだ。

そんな私は自己肯定感が下がっている

どういうことがと言えば、何もやる気がしないのだ。人生のやる気が消えてしまっている。定時になれば飯を食い、酒を飲み、見たくもない動画サイトをぐるぐると巡回するだけだ。仕事もそう、家事もそう。何も新しいことをせず、見て見ぬ振りを繰り返し、ただ日が暮れるのを待つ毎日だ。

何を甘いことを言っているんだ。

呆れてものが言えない。

やる気なんてものは存在しない。行動すれば後から出てくるものなんだ。

そんな理屈はわかるし、本も色々読んだ。しかし、つまるところ最後は自分で行動をしなくてはいけないのだ。そんな私が自己改革をできない理由は「ちっぽけなプライド」だ。改革とはゆっくりではなく、一気に始める必要がある。しかし、これができない。

例えば、のび太くんが一大決心をしてリーダーシップを発揮することにしたとしよう。さて、のび太くんにはどんな反応が返ってくるだろうか。

ジャイアンやスネ夫に笑われ、ドラえもんには多少褒められても冷ややかな目で見られるだろう。これが問題だ。この挫折の壁を超えることができないから、のび太くんはのび太くんというキャラで固定されているのだ。

もし、のび太くんが一年間続けてリーダーシップを発揮できたなら、もはや彼を笑い続けている人はいないだろう。

僕はのび太くんだ。

目の前の現実を受け入れられず、ちっぽけなプライドで「いつかはできる」「嵐は過ぎる」と信じている。しかし、一歩目が踏み出されることがないのだ。少なくとも、ここ数年はなかった。

変わりたい。再び仕事ができるようになりたいし、もっと言えば仕事から充実感を得たい。やりがいがあり、褒められ、必要とされる。そんな充実感はきっと私の性格も変えるだろう。

このnoteを書いたところで何が変わるわけではない。だけど、少なくとも自分の気持をアウトプットしたし、後から見返すときの大事な記録になるはずだ。泣き言を言い続けるのび太くんは、永遠にのび太くんのままなのだ。

まずは、半歩前進。

ハイスペ親友の話

自慢ではないが私の親友達はハイスペだ。そもそも私の「親友の話」なので全くもって自慢にはならないのだが、パワーカップルで結婚をし、世帯年収が2,000万円を余裕で超えているような人達だ。彼らと会話をしてると金銭感覚の違いに驚く。

まず、日常の買い物で値段を気にしないようだ。

クーポンで少し節約をしよう、宿泊費は一泊1万円に抑えられないか、新しく買う家具はイケアやニトリから探そう、なんてことで悩んでいる間に、「どうせ買うなら良いものにしよう」という思考回路で数万円〜数十万円を簡単に消費する。1馬力で家族を養う私からすれば信じられない金銭感覚だ。

彼らは古くからの友人だ。高校で出会い、大学、社会人とこれまでの人生の半分以上を一緒に過ごしてきた。しかし、最近は金銭感覚の違いに驚くことが増えた。私からすると少し悲しい事実だ。

そんな彼らとは常日頃SNSでやり取りをしている。すると最近、どうも自分の生活が話のオチになってしまっている事に気がついた。

Aは渋谷の高級レストランで食事、Bは泊りがけで伊豆の温泉に旅行、私は地元の駅でマックを食べている。こんな具合だ。

別に意図していたわけではないのだが、自分の生活を卑屈に表現している自分自身に気がついた。

駅でマックを食べていることが卑屈だと言いたいなのではない。

卑屈に見せている自分に気がついたのだ。

まるで金持ちに対して安い買い物自慢をする人、ブランド不要論を唱える人のような気持ちだ。

私の友人はマックで食事をすることもあるし、今でも普通の生活をしている。ただ、いわばリミッターの上限が高いのだ。

安く済む分にはありがたいし、無駄に高く買うつもりもない。だけど、必要なときにはお金を使うし、時間を金で買うということもできる。

そんな生活スタイルに見える。私なら絶対に乗らない(乗れない)タクシーに気軽に乗るし、宿は使わなくても露天風呂付き個室が当たり前だ。

彼らからすれば多分私を見下すこともないだろう。

どちらかと言えば、私が自ら卑下している。それはまともに並べない悲しさからくる、自分の精神を守るための無意識の行動だったのかもしれない。話のオチを提供する友人間でのキャラ設定だったのかもしれない。

だけど、もうやめよう。

嘘をつく必要はない。それでも自分を明るく、自分を楽しもう。

キラキラ投稿でもいいじゃないか。明るくしよう。

卑屈な行動は、卑屈な自分を作る。

積み重なった思考の癖は、いつしか自分自身となる。

自分の人生を愛そう。

自分が楽しいことをしよう。

自分が楽しいことならば、それだけで人生は最高なはずだ。

今あるものを愛そう。

失ってから気がつく。そんなありきたりなバッドエンドが到来する前に、今あるものを愛そう。

自分に優しく、人にも優しく。

誇り高くなくてもいい。だけど、自分を卑屈に見せるのはもうやめよう。

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