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自分が感じたこと以上に大事なことはない


散歩が楽しい。

道端の花とか、道路を横切る猫とか、誰かさん家のお庭の置物とか、変な形の雲とか、

いちいち注目したい。
指さして「あ、」てやりたい。
近づいてまじまじと見たい。

でも大人の私がそれをやると完全に不審者になる。
小さな子供連れてたらできるのに。

子供欲しいわ。
だめだよね、そんな理由じゃ。

大人なのに、世界がだんだん明瞭に見えるようになってきて何でも楽しい赤ちゃんみたいな目を持ってしまったら、どうしたらいいんだろう?

とりあえず写真を撮って、みんなに報告しようか。


それができる今は嬉しい。

何が伝わるかは分からないけど、何も伝わることがなくても別にいい。私は楽しいので。




感受性は才能だ。

これからもずっと、そんな風に世界を感じられる自分でありたい。

そのために、安心できる環境を自分に与え続けてやりたい。

私は不安定な状況よりも、安心できる方が自分らしく感性を働かせられて、力が出せる人間だと気づいた。

「じゃあ会社員やった方がいいのでは?仕事探さなくていいの?このままでいいの?」

ふとそんな考えが迫ってくる。
おそらく今まで自分の中に蓄積してきたメディアの文章や、産業カウンセラーの言葉から。

そんな雑な自己分析、もうやめなよ。
雑すぎるよ。

人様の書いた文章が雑って言いたいんじゃない。
それを自分の状況に無理やり当てはめようとしてる自分の行動が雑なんだ。

これだけ自分について考えて考えて、納得もして、理屈ではわかってる。

自分は自分のままで大丈夫なんだ。やりたいことやっていて正解なんだ。

でも分かっていても、外部の声はどうしても強い。
頼んでなくても空から降り注いでくる。

私は私の進む道を、丁寧に自分で選び取りたいだけなのに。

できるよ。できるはず。

とにかく静けさが、あれば。安心さえあれば。

そう思いながら心の中に小さなかまくらを作る。



ゆっくりやるのが時々怖い。またがむしゃらやらなきゃかなって焦る。いや、やりたくないなって思う。結果モヤモヤした気持ちのまま休む。

焦りながら休むって、結構どうしようもない恐怖だよ。

そんな時はどうするか。

最近なら好きなアニメに集中してしのぐ。

現実から目を逸らしてるわけじゃない。
何があろうと、今自分が集中して楽しんでるものが、今の自分にとっての全てだ。

誰かが言った言葉やまとめた文章はもしかしたら嘘かもしれない。
嘘じゃなくても自分に合うとは限らない。

でも自分の身体や心で感じたことって自分にとっては全部本当じゃない?

ならそっちを信じてあげなくてどうする。

自分の外側の言葉に負けるな。

アニメ見終わって気が晴れてたら、私の勝ち。

気が晴れなかったら、もう寝る。

どっちみち、私の勝ち。



楽しいと思って始めたことを、「楽しい」まま継続していきたい。

やればやるほど、「もっとこうしたい」と思う。それ自体はいいんだけれど、気がついたらそれに応じてノルマと義務感が発生してる時がある。

なにしてもストイックなところ、なんか笑っちゃうし泣けてくる。

楽しいまま継続するには、「楽しい」の感覚にただ集中し続ければいい。

シンプルなことなのに、びっくりするほど自分に癖づいてない。

でも大事なこと。
短い人生、できる限り、そんな自分にとって大切な気持ちを感じる時間の積み重ねで作っていきたいよ。



自分が感じたこと以上に大切にすべきことは無い。

大事な事だから、何回でも言う。

自分が感じたことは全部自分にとって本当だ。

何かをしようとすると忘れてしまうから、意識して、何度でも感じ直す。

理解まではできても、実際にやれるようになるまで時間がかかるんだよなあ。

だから、毎日毎日ちゃんと感じることを繰り返す。

今朝食べたパンの味。
昼間照らしてくれた太陽の光。
夜浴びたシャワーのあたたかさ。

全部考え事しながらだったけど、でも確かにあったなって、噛み締める。

今はそれしかできないからそれをやる。



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