9.コンビニ

大学生のころコンビニで夜勤をしていた。

田舎のコンビニの夜勤とは、接客業とは言い難く、品出しの連続であった。毎日決まった時間に数名の常連客が訪れて、決まったものを買っていった。だから自然、顔を覚えたし、渾名するようにもなった。

「大関」と渾名された老人は、ワンカップ大関を買っていくことから、その名が付けられた。大関は酒のほかにスティックサラミを買うのが常だった。
けれどごく稀に弁当を追加することがあった。
何ヶ月か働いて、それは年金支給日以後に見られる行動と分かった。

夜勤のペアに、齢66のなにがしという男があった。もはや名前を忘れてしまった。渾名がなかった為かも知れない。
男にはルーティーンがあった。出勤時、リポビタンDと眠眠打破を各二本ずつ買い、勤務中に飲み切るというものだった。もう十年以上、続けていたらしかった。皮膚は乾き、風貌は窶れ、醜く老いていた。

男は、大関を見て言った。
「今のお客さん、弁当買ってったじゃん。あの人、昔は奥さんと一緒に来てたんだけど、亡くなったんだろうなあ。独りでお弁当買って、独りで食べるんだ、屹度。ああいう人見てるとさ、俺も近い将来ああなるのかと思って、熟、厭になるよ」

ある年の大晦日、ぼくは働いていた。一抹の心細さを覚えながら除夜の鐘を待った。
当時は今ほど、コンビニ業界に、労働改革の潮流が見られなかったから、全国5万店のコンビニに、ぼくと同じ、コンビニで年を越す人間がいるのかと厭世したものだった。

0時になり、思うより呆気なかった。越すと同時に、店内放送が切り替わった。
「明けましておめでとうございます」
機械的な音声がそのように言った。
ペアの男が、「(ローソク)君、これ食べなよ」と言って、商品のお雑煮を奢ってくれた。
事務所でお雑煮を食べながら、時間廃棄の食品を登録し、次々に、ごみ箱へと放った。その中には、お雑煮も含まれていた。

ぼくはなにをしているのだろうか。大晦日の深夜に、お雑煮を食べながら、お雑煮を棄てている。こんなに哀しいことがあるだろうか。
思えばクリスマスにも、ぼくは独り、事務所でブッシュ・ド・ノエルを食べながら、廃棄商品を打ち込んでいた。赤鼻のトナカイが流れていた。
何故、ほかの人間によって作られた文化に際し、逐一、心を磨り減らさなければならないのか。

「生産、消費、排泄、廃棄、生産、消費、排泄、廃棄」

ぼくは唱えていた。明日にも、バレンタインデーの来るような気がしていた。
そうしたら又チョコレートのポップを貼って、チョコレートを陳列し、チョコレートを奢られ、チョコレートを食べながら、チョコレートを棄てなければならなかった。

「生産、消費、排泄、廃棄、生産、消費、排泄、廃棄」
「人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間」

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