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13.吹奏楽部

中学、吹奏楽部に所属していた。

ぼくは小学生時代からブラスバンド部でトロンボーンを吹いていた。中学に上がった時点で既に、周りの新入生よりも吹けた。けれど、決して驕らず、周りの誰よりも長く練習した。

放課後、部員たちは練習時間の半分をお喋りに費やしていた。ぼくはそれが厭で、独り、空き教室へと移動した。お小遣いを貯めて買った、「アーバン」という、かなり大きく、そして分厚い教本を携えていた。
黴臭いリノリウムの床に、トロンボーン特有の柔らかく、しかし、くっきりと澄んだ音が染みこんでいく。次第に日が暮れていく。光がすこしずつ赤くなっていく。その空間が、ぼくの唯一の居場所だった。

三年次、顧問教師が変わってしまった。一、二年次の顧問とは、界隈では名の知れた教師であった。彼の導く吹奏楽部は、その地域で必ず金賞を収めた。三月に離任式があり、県の教育委員会へ異動していった。
代わりに新任の女教師がやってきた。頗る、いけ好かない人間だった。

あるとき、部の女生徒の体操着が盗まれるという事件があった。この女生徒は、側から見ても分かるほど周囲から忌避されていた。
女教師は始め、女生徒の相談を熱心に聞いていた。けれどぼくは、犯人が女教師であるのを知っていた。ぼくは、というより、そんなことは部の誰もが知っていた。女生徒の病欠した日、全体練習で女教師は薄笑いを浮かべながら、次のように言ったのだった。
「○○さんは風邪?可哀想ね。体操着も無くなっちゃって体育の授業にもまともに出られないのに、部活までお休みなんて」

ぼくはこんな人間に指揮棒を振られるのが耐えられなかった。そこでストライキを実行した。朝、放課後と全体練習を放棄し、土曜のみ参加するようになった。
はっきり言って、部内にぼくより演奏の巧い人間はいなくなっていたし、素行も幸いしてか、ぼくに対し文句を言う者は現れなかった。土曜の全体練習に参加したときも、ぼくの演奏は、譬えば、昨日まで耳の聴こえなかった人間がいたとして、彼に聴かせたとしても分かりそうに、群を抜いて巧かった。

夏の大会が近づいていた。吹奏楽部のコンクールは、秋に本大会が開かれた。夏のそれは謂わば予選であった。
ぼくは、全体練習に復帰した。当たり前だが、ストライキに賛同する人間など、同調圧力最盛期の中学生女子のうちに一人としている筈がなかった。
全体練習に参加すると、親切な女生徒が一人、教えてくれた。
「(ローソク)君、先生から『王子』って渾名つけられて、全体練習で小馬鹿にされているよ」
熟、幼稚な人間だと思った。ほとほと呆れた、呆れ果てた。これほど失望感を覚えさせられる人間は、それ以前のぼくの人生にはいなかった。

ぼくはもう、金賞とか、女教師のモラル改善とかどうでも好くなって、全体練習に参加するようにした。鼻から、人形みたいに座っていれば好かった。ここにいる誰も、向上意欲とか、主体性とか、反骨精神とか言うものは持ち合わせておらず、長い物に巻かれ、目的意識もないまま、夢遊病者のごとく歩いている、道の上に、偶々ダイヤモンドが落ちていれば、それで好いのだと、漸く分かった。

銀賞を受賞し、我々の夏は呆気なく終わった。

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