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選択肢の多さ

学生の時、進路先を決めるのが苦手でした。

「完璧主義100%な自分」だったため
進路選びを間違えたくない、失敗したくないという思いが強すぎたからです。

なので、自分の意思で自分の行き先を決めたのは
就職先だけだと思っています。

高校も大学も、自分の意思で決めたとは思いますが
その背景にはお金の関係とか私以外の兄弟の進路を考えた時とか、友達が行くからとか

そんな理由で、自分の進路先を決めていた気がします。

選んだその結果は、振り返ればとても良い思い出ばかりで「失敗した」とか「間違えた」と思ったことはありません。

中学2年生の時三者面談で、担任でもあり部活動の顧問でもある先生に言われた言葉を今でもよく覚えています。

「自分の選びたいものではないものを選ぶことが多いですが、その結果よく終わっているものもあります」

これは、部活動の中で上手くチーム分けができず
私は元々いたペアの子と別れ、一つ下の学年の子とペアを組んだことがあった後に言われました。

その時は、自己犠牲の精神が強く
キャプテンだから我慢しなきゃ
スムーズになるように場がまとまるように
私がやらなきゃと思っていたので自分の希望を押し通したことはあまり記憶にありません。
(ないだけかもしれないですけど…)

この言葉を言われてから8年経ちますが
今だに思い出すのは、今もこの通りだからだと思うからです。

8年前ほど、自己犠牲精神は強くはないですが
「選んだ道が悪かった」と思うことはあまりありません。

大体が上手くいっている気がします。

元々、直感とか自分の勘とか
そういうもので生きてきているので
そこら辺の感覚には割と自信があります。

そして、タイトルの「選択肢の多さ」ですが
進路を決める際も、何かを決める時も、

選択肢が多い方が自分に合うものが見つけられる
選択の自由というのが権利としてある
選べる楽しさがある

そう思っていました。

でも今は選択肢が多ければ多いほど良い!とは
あまり思わなくなりました。

選択肢が多いと、迷ってしまうことに気がついたのです。

その迷う時間が、自分の気分を下げたり
正確な判断ができなくなる要因でした。

なので、必要なものだけを大切に扱い
そこから丁寧に選ぶことを意識したいと
ふっと思いました。(本当にふっとです)

明日着る服も、靴も、鞄も、

自分の将来も、仕事も、

でもそこで選択の自由を忘れてもいけないのです。

物事を大切に選択する。
選択肢は少なくても、選択できることを忘れない。

覗いてくれてありがとうございます。

あの言葉をくれた先生、お元気ですか。
あの時は、何とも思わなかったけど今の私の心にしっかり住み着いている言葉。
やっぱり先生ってすごいよなあ。

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