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建築における「機能」というワードを分解して自由な移動について考える

唐突ではあるが、コロナ禍により制限を受けた暮らしぶりを一旦振り返ってみようと思った。
未知のウイルスであった時期を終えて、また、大きな社会変容も常に生じており、私のコロナ禍に対する関心が薄れてきたからだ。
一過性の出来事は出来事の収束とともに忘れられる傾向にあるので、そうしないために普遍的なテーマと結びつけて考えてみようと思う。

この話の着地点:コロナ禍による半ば強制的な個々人レベルのDXにより、翻って「自由な移動というものを味わう端緒」となったと考えました。
途中、情報通信技術の浸透を建築的に把握するため「機能」の分解を試みることにしました。

※読んでもらえると想定する文字数を大幅に上回ってしまい少し悲しい気持ちで書き終えたりしました

コロナ禍が私たち突き付けたものは、直接的には「人が集まることを前提とした暮らしの脆弱性」であったと考える。これから進める考えはこの前提に立っている。
この脆弱性に関わる問題を紐解くことで、今後の建築や都市、暮らしを想像するきっかけとしたい。


背景その1:都市の構造

現在私たちが暮らす都市は人の移動により効率的に機能するものである。都心に集約されたオフィスがあり、近郊の住宅から通う構造である。
日本の建築や都市を1945年の第二次世界大戦の終戦を境として形作られたものとして捉えるところから始める。
なぜなら日本の多くの都市が焦土と化し、その後の復興に向かう中で建築の定義が明確に変容した時期だからである。「建築の定義」という言葉で取り上げるのは、後述する建築を規定する種々の法律が制定されたことを意識してのものである。敗戦後の日本は、連合国軍の占領政策により徹底的な非軍事化と民主化を図り復興を目指すこととなった。復興の基盤となる都市は、世界に対する経済的な独立国家への道を歩むべく、生産と供給の合理性、経済活動の効率性を求め形成されていく。
「中心部における労働の集約」、「周縁部の住宅地化」、「それらをつなぐ交通輸送網の整備」が戦後の効率性を確保する都市構造として生み出された。

背景その2:住宅の構造

経済活動の効率性を確保するため、住宅形式もまた同時期に考案された。
深刻な住宅不足を解消するため、住宅供給は国家事業として戦災復興院(後の建設省であり現在の国土交通省にあたる)によって進められた。戦後期の住宅標準設計の流れであり、円滑な大量供給、戦災を糧とした耐火性への観点から鉄筋コンクリート造の高層住宅の試行錯誤が行われる。その一つの「51C」と呼ばれる公営住宅は1951年度の公営住宅設計C型の略称であり、「食寝分離」、「就寝分離」などの理論を平面計画に定着したものとして、現在まで住宅史のなかで重要な位置に置かれてきた。この頃考案された住宅形式はnLDK型住宅として現在も私たちの暮らしに広く流通している状況である。

今回のコロナ禍にあっては、戦後期に考案され現在まで広く流通する標準的・制度的に整備された都市構造がその効率性によって危険に晒されたのである。
集約と分散とそれを人の移動により繋ぐ都市構造が、その人の行き交いにより危険に晒されたのである。

背景その3:法(きまり)により定型化された「近代建築」

建築と都市は部分と全体のように相互に影響を与えながらその形式を研ぎあげてきた。人を集約することで効率的に機能する建築の形式であり、試行錯誤を経て標準化された建築の形式である。そして今回のコロナ禍において不自由の発生した建築の形式のことである。
先に住宅に関する経過を取り上げたが、標準化設計は住宅のみならず様々なビルディングタイプにおいて図られた。ここでは便宜上、機能ごとに切り分けられ標準化(定型化)のなされた建築を「近代建築」として扱い、その類型化について確認していく。

「近代建築」の類型化は社会における法の確立と共に進められてきた。
一つの例として「学校」、「図書館」、「美術館(博物館)」を挙げる。これらの類型化された施設は法によって分類され規定されるものである。ここに挙げたビルディングタイプのいずれも1948年に制定され施行された教育基本法を根拠に設置されている。学校は関連法令である学校教育法(1948年制定)や学校設置基準に則り、学校の編成や施設、設備、面積基準などが規定される。図書館、美術館においても同様に、図書館法(1950年制定)や博物館法(1951年制定)などの法令や条例、基準等により体系的に設置や管理に関する事項が定義されている。
このようなかたちで建築の整備と社会制度の整備は互いに互いを形作り、分類を重ねることで定型化されてきた。
つまり、建築とそこに想定される利用者との関係性は文書(規定)によって定義される柔軟性のない定型的なものであり、その硬直性によって、従来前提としてきた「人が集まること」が制限されると同時に不自由が発生したのだと考える。


「機能主義」を能力と作用に分けて考える

次に、近代建築を定型化した「機能主義」を捉え直すために一つの試してみる。「機能」という言葉によって明文化される施設の定義を、「能力」と「作用」という言葉(どちらも辞書のなかで「機能」という語句を説明する上で用いられる言葉)を使い、「機能」を形作っている個々の要素を抜き出すことができないかと考えるのである。一見して言葉遊びのようにも思えるが、制度として明文化された「機能」のその不自由を理解する上で有効性を持つものとして期待する。

例えば「図書館」という機能について考えてみる。前述した図書館法では「図書館」とは下記の通り定義される。“図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設”と定められている。
ここから「能力」に該当する部分を抜粋すると、“図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存し”がその部分である。
「作用」に該当する部分は、“一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資する”という部分である。

つまり、収蔵量のような定量的な働きに関するものが「能力」であり、それが利用者に対しどのように「作用」するかが示され、「機能」を定義していることが確認できる。

能力と作用に分解する試みを簡潔に伝えるため限られた例示とするが、図書館については関連する種々の基準により、施設が配置される地域の人口段階別の図書館専有面積や蔵書数、職員数などの様々な数値的基準が示されており、これらの規定をまとめ上げたものが「図書館」という機能の全体像なのだと考える。


前例:『「黒」と「白」』

「能力」とは数値や数量により示すことの可能な働きに関する事項である。図書館であれば収蔵する図書の分類、保管される蔵書数、その図書を収納する本棚やそれが配置される書架の規模として「きまり」が空間として立ち現れるものと説明することができる。
一方、「作用」とは、ここで言えば、その図書が使用者に影響を及ぼすことであり、簡単な調べものや、新聞や雑誌、新着図書を読み新鮮な情報に触れることや、数々の図書と向き合い研究に励むような、様々な行為が空間として立ち現れるものとして説明することができる。

ここで浮かび上がる構図を整理すると、定量的な能力と定性的な作用の組み合わせとして「機能」を捉え直すことができると考える。

かつて、小嶋一浩は『「黒」と「白」』という言葉を用いて機能と空間の関係性を論じた。この建築理論を設計に落とし込み実践した公共施設のエポックメイキングに<千葉市立打瀬小学校>がある。
『「黒」と「白」』を当論に引き寄せて表現するなら「きまり」によって明文化された機能と室が一対一対応する拘束された空間が「黒」であり、それ以外の使用者を拘束しない空間が「白」である。
小学校という機能を満たしつつ自由を(≒利用者を拘束しない空間を)図式として定着したものが<千葉市立打瀬小学校>だと考えている。

きまりと建築と利用者の拘束を解くことが試みられている。


情報空間により集約される「能力」、それに紐付いて複層する「作用」

コロナ禍は情報通信技術と私たちの関わりを強めた。
接触機会の抑制を図るため多くのコミュニケーションツールが私たちの暮らしに広く浸透することとなり、社会の様々な関係性を代替した。

コロナ禍初期の私の周辺においては感染症拡大防止の観点から出勤の割合を減少し、半分程度を在宅勤務にあてるよう努めていた。感染拡大状況によってはオフィスを完全閉鎖する期間も発生し、否応なく移動の制限を受け入れる状況があった。
これまでであれば、執務は執務室で、会議は会議室で行われてきたものは、自宅のダイニングとビデオチャットサービスの組み合わせにより置き換えられた。出席者の人数などに基づき、専用の室として能力を満たすよう計画されてきたものが、突如として情報通信技術により代替されたのである。
通信による代替は会議室という物理的な制約を受けることなく、元来は計画規模算定の基礎となるような収容人数等でさえ考慮されることなく、情報空間上に会議室が立ち上げられる。むろん、通信にも制限があり私たちの会議方式にも制限はあるが、情報空間への代替は基本、物理的な制約を受けないのである。

情報空間による物理的な空間の代替は多方面でなされた。ビデオチャットは大学の講義や、友人との集会、お盆や正月の帰省などに代わり利用され、これらは行政から接触を抑制するための代替案としても提案されていた。動員を伴う演劇や音楽の公演は、劇場の閉鎖を余儀なくされ新たに配信による公開を試みた団体も少なくない。ビデオチャットによるケースとは異なり、いささか一方向的であり必ずしも劇場に代わるものとは言えないが観客席の代わりとしては能力を示し、また実際に劇場の収容人数を越えて配信の届いた公演もあったことはオルタナティブとしての発見でもあるだろう。

小嶋一浩の「黒」という言葉を使えば、情報空間とは極度に「黒」の集約された空間であり、デバイス(及び通信)がその接点である。
コロナ禍によって迫られた暮らしは、デバイスを介し情報空間に接続することで、一つの物理的な空間に居ながら複数の作用が生じる状況の中で行われた。

情報空間がもたらす「能力」の集約と、それに紐づく「作用」が複数重なる図式である。
この図式により、私たちの暮らしにおける移動が合理性、効率性から解放されたと考える。

自由な移動を味わう

私たちが暮らす日本の建築と都市を戦後期に遡りそれが形作られた経過を辿った。復興を目指す社会の延長にあって、現在まで移動は定型化された建築をつなぐ手段として否応なく必要とされ、同じく定型的に扱われてきた。周辺部の居住と中心部の労働を共に成り立たせるための移動であり、都市構造として組み込まれた合理性と効率性を確保するための移動であった。

情報空間での接触の一般化が進んだ今では住居内に身を置きながら仕事を行うことが可能であり、観劇が可能であり、離れた家族や友人と顔を合わせることができるようになった。

移動を必ずしも必要としない建築や都市の形式は、逆説的に私たちの移動を自由なものにしてくれる。実際のところデスクワークは、住居内はもとより、快適性を高めるべくテラスやバルコニーで行われ屋外環境を見直す機会となった。場所を変えてリゾートホテルやビジネスホテルで行われるなど、定型的な移動が求められていたときにはあまり見られなかったような性質の移動も新たに散見された。

私たちにとっての移動は、より自由なものとして快適性や楽しみを求め行われる行為となされても良いと思えるのだ。コロナ禍によって移動の自由が尊重されることの重要性を改めて感じた。それはコロナ禍以前のように定型化された移動を無意識のうちに担ってきた時点に遡っても同じことであると考える。

最後に飛躍的な所感

2020年の初めよりコロナ禍により突如として様々な制約が生じた。それは、既に足を踏み入れ、必ず直面することとなる少子高齢化社会、人口減少社会にも共通する課題を投げかけるように思う。
繰り返しとなるが、現在までの建築と都市は合理性、効率性を高めるため定型的なものとして練り上げられたものであるからだ。
社会を編成する人員が移り変れば、それは定型の想定外のことであり不具合を起こすことが想像に難しくない。

コロナ禍によって社会は大きなダメージを受けた。
しかし、それと同時に合理性、効率性を求め発展させてきた技術が私たちを大いに助けることも確認できた。私たちが無意識に担ってきた競争的な社会の延長に、自由の兆しが垣間見えたことをこの機会に書き留めておきたいと思う。制度のための移動から解放された私たちは、自由に歩み出すことができると考えるのである。

以上です。ちょっと冗長ですかね。

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