純恋――スミレ――
ダメになるとわかっていても、いざそうなるとこたえるものだ。
肌を寄せ合うたびに、12月の夜風のようなむなしさが互いの胸をかすめていた。スミレが下着をつけるのを見るでもなく見ながら、おれは煙草を吸っていた。言葉は無かった。そしておれたちの関係は3年で終わりを迎えた。
風の強い夜だった。街はやけにシャイなムードで、独り身となったおれは、吹き抜ける風に、なにかを掠め取られるような気がした。妙に胸騒ぎがする。
よせばいいのに、おれはLINEを開いてスミレとのやり取りを遡っていた。いつからだろうか。お互いに心を寄せなくなったのは。トークの内容はさめざめしく、時折彼女が寄せる甘い文句も、そのときのおれには胸に響かなかった。
と、スミレのアイコンが変わっているのに気がついた。いままではバルコニーで育てているガーベラの写真だったのが、雪化粧を背景に男と二人、寄り添っている写真になっていた。
それを見ていると、3年間の記憶が蝋燭の火がつくように胸に蘇った。なにも切ない記憶ばかりじゃない。楽しかったこと、嬉しかったこと、愛おしかったことだってあった。それに気がつくと、およそ36.5度の体温が狂おしいほどに恋しくなった。たとえそこに愛なんて無くてもいい。とにかく抱くことができれば。そして、きっと、なにもせずに夜を越すのだろう。
おれたちが別れて、まだ1週間くらいだ。おれはいま、スミレの抱きしめたときの淡い吐息や、果てるときにおれの背中に爪を立てるその痛みを思い出していた。そしてすぐに思う。いまごろは違う男にそうしているのだろう、と。それはあんまりだと、泣き出したくなった。それじゃまるで水洗便所にチリ紙と一緒に思い出まで流してしまったようなものじゃないか。
彼女にとって、おれとの3年間はそんな値打ちしかなかったのか。悔しさと惨めさが入り混じって、無性に酒が飲みたくなった。それに気がつくと手が震えだした。渇きに似た感覚が襲いかかってきた。おれはそのへんの居酒屋に入り、ビールを頼んだ。お通しとビールはすぐに来た。冷凍庫で冷やされたジョッキに小麦色の奴めがおれをいざなう。
ジョッキを手に取り、口へと持っていく。――苦味とキレが喉をつんざいて通り過ぎて、胃へと落ちていく。それは名状しがたいほどの愉悦だった。おれは4日も酒を飲んでいなかった。
……が、おれは口へ持っていったジョッキを置いた。肩で息をしていた。脂汗をかいていた。なにをやっているんだおれは。おれはそのまま立ち上がり、勘定をして店を出た。財布の中は寂しいものだった。もうすぐ失業保険も打ち切られる。万事休す、か? ふん、とおれは鼻で笑った。なるようにしかならないさ。
もう一度おれはLINEを開いて、スミレのトーク画面を見た。一言だけでいい。謝りたかった。よりを戻そうなんて思っちゃいない。ただ、別れ際、黙って彼女の背中を見ることしか出来なかったから、そのときに伝えるべきだったことを……。
「もしもし……」
スミレは電話に出た。
「あ、おれだけど……」
「なに?」
「その、なんていうか、いままでごめんな」
「また酔っ払ってるの?」
「いや、シラフだよ」
ふうんと彼女はつぶやくように言った。
「もう4日飲んでない」
「……で、それを言いたかっただけ?」
「いや、謝りたかったんだ。おれは……おれは……君に散々迷惑をかけた。傷つけた。取り返しがつかないのはわかってる。だけど、だけどさあ――」
スミレは黙っていた。
「――おれ、やり直せるかな」
かすかな微笑が耳をくすぐった。
「その調子でいければね。がんばって」
おれは自販機で水を買って、シアナミドを流し込んだ。酒。それが3年間の関係に終止符を打った、諸悪の根源だった。さっき、あそこでもしビールを飲んでいたら……。
でもおれは飲まなかった。飲まなかった。大丈夫だ。おれならできる。
おれにはおれがついている。
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