愛にできることはまだあるかい

ばんちゃっす。ロカです。

年末からどうもぐったりしてて先生に相談して安定剤減らしたりなんだりとして、なんとか今週くらいから調子が戻ってきた。朝起きてとりあえず無水カフェイン飲んでエンジンかけて。ただ無水カフェインも良し悪しで、気分が下がり気味のときに飲むとイライラしたり落ち着きが無くなったりするから気をつけないとなんだよね。あと寒いのもあるから散歩行って身体を温めたり。

ほんとにめんどくさい身体になったもんだ。こんなんでよく仕事してたなと過去を振り返ると恐ろしくなる。ストレスで金銭感覚バグって、夜勤のときに暇だからってガチャをぼうっと回し続けたり、衝動買いしまくったり。いま考えるとほんとに怖い。無職生活4年目でやっとその癖も矯正できて、いまはほんと買い物しなくなった。前はAmazonで注文して数時間後にキャンセルしてってのを繰り返してたけど、いまはもう興味が無くなった。だからガマンしてるとかじゃない。健康的に克服できてよかったわ。

で、また働きたいなーって思ってハローワークの求人サイトとか見たりしてたんだけど、なんていうか、やっぱり現実的じゃないなと。給料低すぎてなんのために働くのかわからない。やっと食べていける額だと精神障害は受け付けてなかったり。これが現実か。

働かなくていいといえばなんとなく聞こえはいいけど、厳密に言えば「働けない」わけで、気持ちとしては働きたいからめんどくさい。本当に無職にも才能が要るってのはあるなと思う。自分に才能なんて無いとは思ってたけど、無職の才能すら無いとは。

なんだろね、まだ「オレならやれる」って思ってるのがもう、ね。毎日バリバリ仕事してる夢から醒めて迎える朝よ。まー、バイトから始まってずっと仕事してたからなあ。ワーカホリックではないけど仕事は好きだから。確かに無職になって自分の好きなことができるぜー!って思ってた時期もあったけど、いまは本当にむなしい。虚無の日常。

でもそれも考え方も問題なんだろうとは思う。働いてたときはそれこそ「24時間タタカエマスカ」ってマインドだったから。それが抜けてないんだろうね。戦闘不能になった自分が惨めだと思ってるけど、ある種の諦めというか、そういうのが必要なんだろうなあ。

先生からも「仕事だけが人生じゃない」って言われてるけど、なかなかスッと入ってこない。前の記事とか読み返すと無理やりそうやって自分に言い聞かせてる感じがして痛々しかった。もっと「自分はそういう病気なんだ」ってのを自覚というか、認めるというか、「障害の受容」って言い方をするんだけどもっとリアルに受け止めないとなとは思ってる。

いろいろこんがらがってるものをほどくのは、自分が思ってる以上に時間のかかる作業なんだなと思う。それでもいまはだいぶ過去のこともフェアな目線で見られるようになってきたと思う。

病気を病気として、そういう障害なんだって受け入れて、敢えて言うなら劣性なものを劣性とそのままに受け入れなきゃなと。「芥川龍之介も同じ病気だったから」とかそういうことじゃなくて。世の中ってのは残酷なんだと。だから救いを求めるんだろうけど、そんなものはありゃしない。

受容する過程で心が折れる心配はしてない。でもかなりつらい作業だとは覚悟してる。精神力というか、根性だけはあるから。

久しぶりに書いたら長くなってしまった。でも書いてちょっとスッキリした。久しく書いてなかったからな。

はい、そんな感じです。

それではまた。

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